空気座
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よみ、
概要
1946年(昭和21年)、小崎政房を座長として結成。
別名
主な出来事
1946年10月、旗揚げ公演。主な団員は左卜全、田崎潤(=田中実)、春名薫、花村陽子、成瀬昌彦。
1947年(昭和22年)8月1日-15日に帝都座五階劇場にて『肉体の門』公演。仕掛け人は秦豊吉。脚本は小沢不二夫、演出は小崎政房[注 1]。1000ステージ、50万人程の観客を動員した。三條ひろみが扮した主人公の娼婦ボルネオ・マヤが受けるリンチシーンがSMファンを含む多くの人々の心を奪う。8月12日には観客が飛び降り自殺する事件も起こる[1]。
1947年(昭和22年)12月、『肉体の門』空気座北陸公演。
1948年(昭和23年)2月、『肉体の門』空気座九州初公演。
1949年(昭和23年)1月、『続肉体の門』空気座日劇小劇場公演。
1949年(昭和23年)3月、『続肉体の門』空気座九州公演。
1949年(昭和24年)、解散。
トピック
- 「空気座は一時タンポポ劇団の脱退組が独立したもので小崎政房が総帥で始めたが、現在(昭和22年頃)は幾度か脱皮して、小崎も今は一文芸部員として残る。[2]。」
- 「(昭和22年頃)座員50名をA班B班に編成し、渋谷東横百貨店の劇場とアバンギャルドとに出演している[2]。」
- 「劇場の持主は大塚興行株式会社だが経営にタッチせず。純益の3割が入る[2]。」
ポスター・チラシ・フライヤー
引用文献
- ↑ 『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 cobanobuのブログ「劇場」 引用エラー: 無効な
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注釈
- ↑ 戦前、ムーランルージュ新宿座の脚本家として活動すると共に、大都映画では松山宗三郎の芸名で俳優として活躍。映画監督作品もある。