浅草フランス座

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正式名称は「浅草フランス座演芸場東洋館」であり、東洋館の通称

1951年(昭和26年)10月、浅草フランス座が開館。

1960年前後、山本昌平が俳優。

1964年、いったん閉鎖。1Fに浅草東洋劇場を、上階に落語の寄席(浅草演芸ホール)

1971年(昭和46年)、浅草東洋劇場の閉鎖

  • 1988年(昭和63年)、「浅草フランス座」の浅草駒太夫の『花魁ショー」がブームとなる。浅草駒太夫のマネージャーで夫は演出家の佐山淳[1]

2000年、浅草フランス座演芸場東洋館」に改称

渥美清、長門勇、佐山俊二、谷幹一、関系六がいた)


『the 座』第22号は、井上ひさし氏

 『1回の興業は2部に分かれていた。第一部はギャグのたくさん入った一時間程度の芝居。出演者は6, 7人で作者が台本を書いていた。毎回新作で演出者もいた。15分の休憩をはさんで1時間半の第2部。24,25景からなり、踊り子の数は20人前後。ソロ、デュエット、カルテット、群舞があり、他にコントや歌。振り付け師は国際劇場のSKDからきていた。音楽はもちろん生で7人編成の専属楽団。専属歌手も二人いた。』

参考資料

注釈