浅草の歴史

提供:SMpedia
2015年1月10日 (土) 15:57時点におけるU (トーク | 投稿記録)による版 (→‎歴史)

概要

歴史

1841年(天保12年)5月〜1843年(天保14年)9月、天保の改革市村座が日本橋から、中村座が日本橋から、森田座が木挽町五丁目から聖天町(現在の台東区浅草6丁目)に強制移転。聖天町は、芝居小屋の草分けである猿若勘三郎の名に因んで猿若町と改名。

1884年(明治17年)11月、中村座が聖天町から西鳥越町(現・台東区鳥越1丁目)へ移転。

1887年(明治20年)、13才の竹本綾之助女義太夫としてデビューして大変な人気。若者を中心とする熱狂的なファンは「どうする連」と呼ばれた[1]

1903年(明治36年)、吉沢商店浅草六区に日本で最初の常設映画館『電気館』が開設。

1910年(明治43年)、浅草六区にできた遊園地「ルナパーク」の中に、吉沢商店が映画館『帝國館』を開設。翌年焼失。

1912年(明治45年)、再建された帝國館曾我廼家五九郎の喜劇「出世の太鼓」の公演[1]

1917年(大正6年)、同年にオープンした東京・浅草公園六区の観音劇場の経営を'曾我廼家五九郎がまかされる。

1920年代?、浅草観音劇場曾我廼家五九郎が『人肉の市』を舞台化[2][3]

エピソード

資料

引用文献

  1. 1.0 1.1 中山涙浅草芸人 ~エノケン、ロッパ、欽ちゃん、たけし、浅草演芸150年史~』(マイナビ新書, 2011.12.23)
  2. 伊藤晴雨非小説 性液(十)奇譚クラブ1954年(昭和29年)11月号, p68
  3. 伊藤晴雨非小説 性液(十一)奇譚クラブ1954年(昭和29年)12月号, p169

注釈

お役たちweb

つながり

浅草の歴史