阿部定
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あべ さだ、1905年(明治38年)5月28日 - 没年不明[1]。3大毒婦の一人。1936年(昭和11年)愛人との窒息プレイが昂じて絞殺。「いつも彼の側にいるために」と陰茎を切除。多くの小説、映画、芝居のモチーフとなる。
概要
日本3大毒婦の一人。1936年(昭和11年)愛人との窒息プレイが高じて絞殺。「いつも彼の側にいるために」と陰茎を切除。多くの小説、映画、芝居のモチーフとなる。
主な出来事
1905年、(明治38年)5月28日、東京市神田区新銀町の畳店の娘として生まれる。
1922年(大正11年)頃、横浜市住吉町の芸妓屋に売られる[1]。
1927年(昭和2年)、飛田新地の「御園楼」に入る[1]。
1935年(昭和10年)、名古屋の料亭で名古屋市議会議員の大宮五郎と知り合い交際。大宮五郎の勧めで東京中野の料亭・吉田屋に就職。経営者の石田吉蔵と不倫関係[1]。
1936年(昭和11年)5月18日、荒川区尾久の待合に愛人の石田吉蔵と5月11日から滞在し、連日のセックス。窒息プレイで快楽を得ていた模様。吉蔵の依頼で首を腰紐で締めて殺害。ペニスと睾丸を切断[1]。
1936年(昭和11年)5月20日、石田吉蔵殺人容疑で逮捕[1]。
1936年(昭和11年)12月21日、東京地裁から懲役6年(求刑10年)の判決。服役。
1941年(昭和16年)、恩赦で釈放。
1967年(昭和42年)、台東区竜泉に「若竹」というおにぎり屋を開店。土方巽は常連客[1]。
1974年(昭和49年)、これ以降の消息は不明[1]。
エピソード
- 高橋鐵は「情死心理とサディズムとの双方。熱愛の極地で情死を遂げるのは古来、情死心理の教えるところ」と弁護[2]。
- 坂口安吾は「日本恋愛史上に輝く極限の愛のヒロイン」と評価[2]。
- 25歳頃に「男性と毎日肉体関係を持たないと気がおかしくなりそうだと病院に相談」している[1]。
- 取り調べに対し「私は彼を非常に愛していたので、彼の全てが欲しかった。私達は正式な夫婦ではなかったので、石田は他の女性から抱きしめられることもできた。私は彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した…」「私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼の側にいるためにそれを持っていきたかった」と述べている[1]。
- 殺害後、左太腿部には血で「定吉2人」と書いていた。
安部定をモチーフとした作品
小説
- 「妖婦」織田作之助 1947年(昭和22年)
- 「失楽園」渡辺淳一 1997年(平成9年)
映画
- 『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』 (東映、1969.8.27)(監督:石井輝男)
- 「四畳半襖の裏張り」1973年(昭和48年)
- 「実録 阿部定」 1975年(昭和50年)
- 「愛のコリーダ」 1976年(昭和51年)
- 「失楽園」 1997年(平成9年)
- 「SADA」 1998年(平成10年) - ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞受賞
- 「平成版・阿部定 あんたが、欲しい」 1999年(平成11年)
- 「愛のコリーダ2000」 2000年(平成12年) - 1976年(昭和51年)公開の「愛のコリーダ」のノーカット版
- 「JOHNEN 定の愛」 2008年(平成20年)
- 「阿部定 最後の七日間」 2011年(平成23年)
芝居
- 1981年(昭和56年)4月1日〜10日、自由劇場にて、『少女・阿部定』。出演:高杉かほり、玉井敬友、武田千明、百花繚乱、金城栄子、谷川正美、土田一代志、津田俊和、大塚聖一、東川佳揚
- 1982年(昭和57年)4月1日〜10日、自由劇場にて、『少女・阿部定』。出演:高杉かほり、玉井敬友、金城栄子、梅谷智枝、鈴木桂介
- 1999年(平成11年)4月、『少女・阿部定』の再演。下北沢「劇」小劇場。玉井敬友事務所。((製作:玉井敬友 上田真弓 渡井かおる、演出助手:本間美奈子、舞台監督:伊藤進、ポスター:荒木経惟、出演:前川麻子 玉井敬友 高橋広吉 はさば幸代 上田真弓 渡井かおる 足立ゆみか 中川あゆこ 河村祐子 佐野香恵 藤井モウ 下山リョウ)