ダーティ工藤
くどう だーてぃ、1954年(昭和29年)11月28日-
概要
緊縛師。映画監督。映画評論家。石井輝男、丹波哲郎、工藤栄一らに焦点をあてた作品を発表している。縄をほどいた後の「縄跡」にこだわった映像作品、写真作品を発表。有限会社ディーケー・プロダクション(2000年設立)の代表取締役。日本映画監督協会会員。
別名
Dirty Kudo、工藤公一(本名)、DK、クラウス・マンスキー、ブルーノ・サンマルチン、セルジオ・コレッポッチ、ニート・ロータ、シロート・シャブロル、マダム・イヤン
略歴
1954年(昭和29年)11月28日、北海道虻田郡倶知安町に生まれる。
1960年代、中学時代『奇譚クラブ』を知り、緊縛を独習し始める[注 1]。
1973年(昭和48年)、上京し日経新聞の配達など、様々な職を転々としながら、文芸座・並木座・大塚名画座・フィルムセンターなどで多量の映画を観る。
1977年(昭和52年)、8ミリ映画『マッドハンター恐怖の追撃』を初監督。
1980年前後、同人誌『シネマトグラフ』を創刊。また、キネマ旬報、ぴあなどに映画評論を寄稿。この頃からダーティ工藤と名乗るようになる。
1980年代後半、S&Mスナイパーに世界SM映画史を連載[1]。
1980年代後半、雑誌『ベストビデオ』でビデオ撮影現場取材をやっていた。代々木忠などを取材[1]。
1980年代後半、早乙女宏美主演でプロモーションビデオを制作。これは後にアートビデオから「秘縛マニア 素人SM投稿ビデオコレクション (1)」(1990)として出る[1][注 2]。
1988年(昭和63年)、亀有名画座で開催された最後の「にっかつロマン大賞」の1コーナー「SM座談会」のMCを担当[注 3]。
1989年(平成元年)、「マニア倶楽部」のグラビアで菊池えりを緊縛[注 4]。
1990年(平成2年)、『惨!パッショネイション・緊縛刺青地獄』(アートビデオ)でAV監督デビュー。
1992年(平成4年)、『ダーティコレクション素人娘密漁地帯』でシネマジック初監督。
1994年(平成6年)、ダーティレーベルを設立し、ビックモーカルに営業委託[1]。
1997年(平成9年)、「義母の寝室」シリーズがヒット。
1998年(平成10年)、縄痕に拘った写真集『残縄画報』を出版。
1999年(平成11年)、『縄文式』『AYAKOの退院[注 5]』製作。BOX東中野にてレイトショー公開。
1999年(平成11年)5月21日、『縄文式』の公開直前緊縛イベントをロフトプラスワンにて開催、ダーティ工藤プレゼンツ『縄文式』トーク&ライヴ「そろそろSMについて語ろうか」【出演】杉作J太郎、雪村春樹、小夜伽、江本友紀、吉田チホ、早乙女宏美、MS.ローズ、東陽片岡、冠木新市、東ノボル、中村淳彦、ゴールドマン。
2000年(平成12年)、ディーケー・プロダクション設立。インディーズ・レーベル“Dirty Factory”を開始。
2000年(平成12年)、若松劇場での早乙女宏美企画SM大会に出演[注 6]。長田英吉と初遭遇。2001年まで。
2000年(平成12年)、『殺人無頼帳』をアップリンクファクトリーにて公開。
2001年(平成13年)、アップリンクファクトリーにて『縄文式』を緊縛ライブ付きで再公開[注 7]。
2001年(平成13年)、『縄文式2』『東陽片岡のカク!』を中野武蔵野ホールにて公開。[注 8]。
2002年(平成14年)、工藤栄一監督の聞き書きをまとめた『光と影 映画監督工藤栄一』を上梓。
2004年(平成16年)、丹波哲郎の聞き書きをまとめた『大俳優 丹波哲郎』を上梓。
2006年(平成18年)、ネイキッド・ロフトにて『ダーティ工藤のダーティズム宣言!!!』。早乙女宏美などが出演。
2006年(平成18年)、『ふたつの女』『東陽片岡のあま~い生活』をポレポレ東中野にて公開。
2006年(平成18年)、ロフトプラスワンにてこの年亡くなった丹波哲郎の追悼オールナイト・イベントを開催[注 9]。
2007年(平成19年)、アップリンクXにて『東陽片岡のルサンチマン』を公開。それに先立ちDK作品のレトロスペクティブを開催。
2009年(平成21年)、オホーツク網走フィルムフェスティバルにて完成したばかりの『石井輝男映画魂』をプレ上映。
2010年(平成22年)、2009年制作の『石井輝男映画魂』がユーロスペース渋谷等で公開。
2010年(平成22年)、『ぴんくりんく緊縛篇(二部作)』が、大阪のシネ・ヌーヴォ&Planet+1にて公開。
2011年(平成23年)、『ぴんくりんく緊縛篇(二部作)』が、神戸映画資料館にて公開。
エピソード
- 東活などのピンク映画の上映館の外に貼るキャビネ写真を作る写真会社に入社していた。麹町にあった。サン出版からの緊縛写真の現像の仕事もしていた[1]。
- 好きな緊縛は後手高手小手、胡座縛り、逆海老縛り、豆絞り手ぬぐいによる噛ませ猿轡[2]。
- 1992年東宝映画の『超過激本番 失神』(中野貴雄監督)にアラブの富豪と中国人の富豪の二役で出演[2]。
- 石井輝男監督、『無頼平野』(1995)、『ねじ式』(1998)、『地獄』(1999)の制作協力[2]。
- 『蒸発旅日記』(山田勇男監督, 2003)の制作協力[2]。
- 『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』(塚本連平監督, ギャガコミニュケーションズ, 2008)で緊縛指導[2]。
代表作
映画
- 『マッドハンター恐怖の追撃』(OKフィルム・ユニット, 1977)
- 『縄文式』(DK Production, 1999)
- 『殺人無頼帳』(DK Production, 2000)
- 『東陽片岡のカク!』(DK Production, 2001)
- 『縄文式2』(DK Production, 2001)[注 10]
- 『東陽片岡のあま~い生活』(DK Production, 2006)
- 『ふたつの女』(DK Production, 2006)
- 『風景縛』(DK Production, 2006)
- 『東陽片岡のルサンチマン』(DK Production, 2007)
- 『ボンデージ・スペシャル』(DK Production, 2007)
- 『石井輝男映画魂』(ワイズ出版, 2010)
- 『ぴんくりんく 緊縛篇(二部作)』(DK Production, 2010)
書籍
- ダーティ工藤、紫藤仁『残縄画報』(ワイズ出版, 1998)
- ダーティ工藤『光と影 映画監督 工藤栄一』(ワイズ出版, 2002)
- 丹波哲郎、ダーティ工藤 『大俳優 丹波哲郎』(ワイズ出版, 2004)
連載
- 『新東宝大蔵時代研究』映画論叢(図書刊行会)No.21(2009)〜
緊縛教材
- ダーティ工藤『ダーティ工藤の緊縛教室 初級編』(シネマサプライ, 1996?)
- ダーティ工藤『ダーティ工藤の緊縛教室 中級編』(シネマサプライ, 1996?)
- ダーティ工藤『ダーティ工藤の緊縛教室 上級編』(シネマサプライ, 1996?)
- ダーティ工藤『緊縛術 I 』(Dirty Factory, 2000)
- ダーティ工藤『緊縛術 II』(Dirty Factory, 2000)
- ダーティ工藤『緊縛術 III』(Dirty Factory, 2000)
- ダーティ工藤『緊縛術 IV』(Dirty Factory, 2002)
- ダーティ工藤『緊縛術 V』(Dirty Factory, 2007)
- ダーティ工藤『今日からデキるSM講座 入門編』(ロイヤルアート, 2003)
- ダーティ工藤『今日からデキるSM講座 中級編』(ロイヤルアート, 2003)
- ダーティ工藤『今日からデキるSM講座 達人編』(ロイヤルアート, 2003)
- ダーティ工藤『How To Kinbaku 初級篇』(松本企画, 2011)
- ダーティ工藤『How To Kinbaku 中級篇』(松本企画, 2011)
- ダーティ工藤『How To Kinbaku 上級篇』(松本企画, 2011)
AV作品
相当数。ここに網羅的リストがある。
参考資料
注釈
- ↑ 近所のゴミ捨て場で拾ったとある(Dirty Facotry HP)。ちゃぶ台や机・柱などを相手に自己流で緊縛術を研究。
- ↑ 早乙女宏美は当時S&Mスナイパーの編集長だった大八木の紹介。完成した作品をアートビデオの峰一也に見せたところ買い取ってくれ、作品を撮らないかと誘われる。
- ↑ 参加者は菊池えり、小川美那子、岸加奈子、長坂しおり。菊池えりを着衣のまま軽く縛る。
- ↑ 写真は杉浦則夫
- ↑ Romain Slocombeの原案による。同氏が若尾文子の大ファンであるのでAYAKOとなった。
- ↑ パートナーは江本友紀、早乙女宏美、いずみゆきこなど
- ↑ パートナーは望月英子、江本友紀、浜野美砂など
- ↑ 公開日には旧作によるオールナイト・イベントを開催。早乙女宏美、桜たまきが緊縛出演。テレビ朝日「トゥナイト2」が取材に来て、中国ハーフの女性レポーターを軽く縛る
- ↑ 参加者は隆大介、藤田むつみなど
- ↑ 早乙女宏美が出演している。