「富賀正俊」の版間の差分
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そかべ しん(生年不詳)、挿絵画家冨賀正俊の変名。60年代には裏窓に多くの挿絵。SMセレクトにも名が残る。耽美館版「花と蛇」の挿絵も。
概要
絵師。挿絵画家冨賀正俊の変名[1]。曽我部泰では「實話と小説」1949年(昭和24年)あたりから名が残る。60年代には裏窓に多くの挿絵。SMセレクトにも挿絵。
別名
略歴
1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロとサン出版の企画による箱根での慰労会[2]。出席者は団鬼六、美濃村晃、堂昌一、小日向一夢、千草忠夫、安芸蒼太郎、小妻容子、前田寿安、沖渉二、古正英生、東桂史、中島喜美、織裳雪夫、松井籟子、蘭光生、天堂寺慎、山田彬弘、曽我部泰、佐藤重臣、ネコ、マリ。
エピソード
- 冨賀正俊名で、少年少女向けの雑誌、書籍に多くの挿絵。
作品
- 小島政二郞『戀愛悲歌 美しき雷鳴』in 「面白倶楽部」1948年(昭和23年)7月(光文社)に冨賀正俊で挿絵。
- 冨賀正俊で1949年(昭和24年)頃の「實話と小説」の表紙。
- 「實話と小説」1949年(昭和24年)4月1日号に曽我部泰名で挿絵。
- 中野實『都会の砂漠』(桃源社, 1956)(装幀:冨賀正俊)
- 海老沢七郎『柔肌切支丹』裏窓1962年(昭和37年)10月号の挿絵。
- 丸亀惠史『奥州犯科録より あわれ雪路』裏窓1962年(昭和37年)11月号の挿絵。
- 神行京一『耳の戦慄』裏窓1962年(昭和37年)12月号の挿絵。
- 須賀敏『女泣き土蔵』(耽美館, 1969)(挿絵:曽我部泰)(SM耽美文学シリーズ No.1)
- 団鬼六『やくざ天使』(耽美館, 1969)(挿絵:曽我部泰)(SM耽美文学シリーズ No.18)
- 曽我部泰『武家妻女無残』in 耽美館編『耽美の発見』(耽美館, 1969)(発行:芳賀書店)(SM文学別巻。写真と画集。曽我部泰、小日向一夢、美濃村晃、丘水仙、山田彬弘、堂昌一などの作品)
- 団鬼六『花と蛇(五)』(耽美館, 1970)(挿絵:曽我部泰)(SM耽美文学シリーズ No.20)
- 団鬼六『花と蛇(六)』(耽美館, 1970)(挿絵:曽我部泰)(SM耽美文学シリーズ No.21)
- 室谷幸吉『カンドウ神父 : 日本人の心の友』(女子パウロ会, 1979)に冨賀正俊で挿絵。
ギャラリー
引用文献
注釈