「安芸蒼太郎」の版間の差分

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==主な出来事==
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1960年(昭和35年)、[[裏窓]]6月号へ一挙掲載された『'''天変三日月秘文'''』でデビュー。
1960年(昭和35年)、[[裏窓]]6月号へ一挙掲載された『'''天変三日月秘文'''』でデビュー。
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==エピソード==
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2021年7月2日 (金) 12:42時点における版

画像:Tendoujishin05.jpg|SMキング 1973年(昭和48年)8月号の安芸蒼太郎黒き縛淫の館』。挿絵: 天堂寺慎 あき そうたろう、19xx年(昭和xx年)

概要

文筆家。1960年(昭和35年)頃から裏窓などに執筆。続いて、SMセレクトSMクラブSMフロンティアSMフェニックスなどの多くのSM雑誌に執筆。万里小路崑(までのこうじ こん)[注 1]などの筆名ももつ。

別名

万里小路崑、万野小路崑、潮一樹

主な出来事

1960年(昭和35年)、裏窓6月号へ一挙掲載された『天変三日月秘文』でデビュー。

1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロサン出版の企画による箱根での慰労会[1]。出席者は団鬼六美濃村晃堂昌一小日向一夢千草忠夫安芸蒼太郎小妻容子前田寿安沖渉二古正英生東桂史中島喜美織裳雪夫松井籟子蘭光生天堂寺慎山田彬弘曽我部泰佐藤重臣ネコ、マリ。

エピソード

代表作

雑誌

書籍

脚注

  1. SMキング1973年(昭和48年)8月号に紹介記事

注釈

  1. 京都にある万里小路が筆名の由来。

関連文献

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