「東郷健」の版間の差分

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1984年(昭和59年)3月16日、[[S&Mスナイパー]]4月号に「'''[[東郷健]]と雑民の部屋'''」案内。料金、男性15,000円。女性6,000円。場所:国電大久保駅下車。
1984年(昭和59年)3月16日、[[S&Mスナイパー]]4月号に「'''[[東郷健]]と雑民の部屋'''」案内。料金、男性15,000円。女性6,000円。場所:国電大久保駅下車。
1987年(昭和62年)4月17-18日、大久保の[[雑民の部屋]]で「'''[[東郷健]]と雑民の会'''」。ホモ映画と男性ヌード<ref>[[ぴあ]]1987年(昭和62年)5月1日号</ref>。


2006年(平成18年)、新宿ゴールデン街に『'''Bar 東郷健'''』をオープン。2011年まで。<ref name="buzzap">[https://buzzap.jp/news/20120420-togoken/ 「伝説のおかま」こと東郷健氏が逝去]</ref>
2006年(平成18年)、新宿ゴールデン街に『'''Bar 東郷健'''』をオープン。2011年まで。<ref name="buzzap">[https://buzzap.jp/news/20120420-togoken/ 「伝説のおかま」こと東郷健氏が逝去]</ref>

2019年10月6日 (日) 07:36時点における版

東郷健(1932-2012)。GORDON1978年(昭和53年)創刊号より。

とうごう けん、1932年(昭和7年)6月10日 - 2012年(平成24年)4月1日

概要

別名

略歴

1932年(昭和7年)6月10日、兵庫県加古川市に[1]生まれる。

1955年(昭和30年)、関西学院大学商学部卒業[1]

1963年(昭和38年)、姫路市でゲイバー「るどん」をオープン[1]

1968年(昭和43年)、東京でゲイバー「とうごうけん」をオープン[1]

1971年(昭和46年)、参院選に立候補、落選[1]

1979年8月24日、「雑民の会」を設立[1]

1981年(昭和56年)、ゲイ雑誌「The Gay」を創刊

1982年(昭和57年)、政党としての『雑民党』を結成[1]

1983年(昭和58年)5月20日、21日、雑民の部屋でSMパーティー[2]

1984年(昭和59年)、雑民の部屋で定期的にSMパーティー。

1984年(昭和59年)3月16日、S&Mスナイパー4月号に「東郷健と雑民の部屋」案内。料金、男性15,000円。女性6,000円。場所:国電大久保駅下車。

1987年(昭和62年)4月17-18日、大久保の雑民の部屋で「東郷健と雑民の会」。ホモ映画と男性ヌード[3]

2006年(平成18年)、新宿ゴールデン街に『Bar 東郷健』をオープン。2011年まで。[4]

2012年(平成24年)4月1日、永眠。

エピソード

代表作

辻村隆による渡部好美谷山久美子の責め。 辻村隆団鬼六 の対談。沼正三のマゾプレイ。
  • 悶絶!どんでん返し』(1977)

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 Wikipediaより
  2. 別冊S&Mスナイパー1983年(昭和58年)6月号
  3. ぴあ1987年(昭和62年)5月1日号
  4. 「伝説のおかま」こと東郷健氏が逝去
  5. 平岡正明変態的』(ビレッジセンター出版局, 1996.4)

注釈


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