「秋吉巒」の版間の差分

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[[画像:Akiyoshi.jpg|250px|thumbnail|[[秋吉巒]] (1922-1981) 『[[風俗草紙]]』表紙(1953)]]
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[[画像:Akiyoshi2.jpg|150px|thumbnail|[[秋吉巒]] (1922-1981) 「[[秋吉巒]]・[[四条綾]] [http://www.amazon.co.jp/gp/product/4883751155/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4883751155 エロスと幻想のユートピア~風俗資料館秘蔵画選集1]」([[書苑新社]], 2010)より]]
[[画像:Akiyoshi2.jpg|150px|thumbnail|[[秋吉巒]] (1922-1981) 「[[秋吉巒]]・[[四条綾]] [http://www.amazon.co.jp/gp/product/4883751155/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4883751155 エロスと幻想のユートピア~風俗資料館秘蔵画選集1]」([[書苑新社]], 2010)より]]
[[画像:SMking4.jpg|150px|thumbnail|[[SMキング]]1972年(昭和47年)11・12月合併号。[[秋吉巒]]の表紙。]]
'''あきよし らん'''、1922年(大正11年)-1981年(昭和56年)。1950年代から70年代にかけて『[[風俗草紙]]』『[[裏窓]]』『[[SMキング]]』『[[SM奇譚]]』などの表紙・挿絵。[[澁澤龍彦]]が「通俗シュルレアリスム」と評価。  
'''あきよし らん'''、1922年(大正11年)-1981年(昭和56年)。1950年代から70年代にかけて『[[風俗草紙]]』『[[裏窓]]』『[[SMキング]]』『[[SM奇譚]]』などの表紙・挿絵。[[澁澤龍彦]]が「通俗シュルレアリスム」と評価。  
==概要==
==概要==

2019年9月25日 (水) 10:56時点における版

秋吉巒 (1922-1981) 『風俗草紙』表紙(1953)
秋吉巒 (1922-1981) 『裏窓』1958年(昭和33年)10月号表紙
SMキング1972年(昭和47年)11・12月合併号。秋吉巒の表紙。
秋吉巒 (1922-1981) 「秋吉巒四条綾 エロスと幻想のユートピア~風俗資料館秘蔵画選集1」(書苑新社, 2010)より

あきよし らん、1922年(大正11年)-1981年(昭和56年)。1950年代から70年代にかけて『風俗草紙』『裏窓』『SMキング』『SM奇譚』などの表紙・挿絵。澁澤龍彦が「通俗シュルレアリスム」と評価。

概要

画家。『風俗草紙』『奇譚クラブ』『デカメロン』『宝石』『裏窓』『緊縛美』『SMコレクター』『サスペンスマガジン』『SMキング』『SMファン』『別冊SMファン』『SM奇譚』『SMプレイ』などの表紙・挿絵をてがけていた。

別名

Ran Akiyoshi、秋吉照國(本名)、秋吉らん、秋吉巒鬼、根元裕、桧山紀太郎

略歴

1922年(大正11年)8月22日、京城生まれ。

1946年(昭和21年)、終戦後九州を経て上京[1]

1947年(昭和22年)、結婚。米軍将校の肖像画などを描いて生計[1]

1950年(昭和25年)頃、『デカメロン』等の表紙の仕事を始める。その後、モダン夫婦讀本、新婦人(昭和28年)、探偵倶楽部(昭和32年)、現代読本(昭和31年)、讀物雑誌(昭和32年)、別冊漫画天国(昭和39年)、人間の記録、不思議な雑誌、『風俗草紙』『奇譚クラブ』『デカメロン』『宝石』『裏窓』『SMコレクター』『サスペンスマガジン』『SMキング』などの挿絵、表紙を書く。

1958年(昭和33年)10月、『探偵倶楽部 耽奇ミステリーよみもの』に掲載された『ムードスリラー 赤い蝙蝠』(構成:秋吉巒、製作:高須信次郎・秋吉巒)では、文も書いていたようだ。

1971年(昭和46年)12月、『SMファン』創刊号の目次カットと藤見郁『人斬り』の挿絵。

1972年(昭和47年)11月、『SMキング』11・2月合併号から表紙を秋吉巒が担当。

1974年(昭和49年)、異端文藝創刊号で特集「秋吉巒の世界」

1981年(昭和56年)、心不全で没。58歳

1982年(昭和57年)、青木画廊で遺作展。

2010年(平成22年)、風俗資料館と青木画廊で『知られざる秋吉巒の世界』展。

エピソード

  • 生涯1枚の絵画も売らなかったといわれる。
  • 絵は独学で、挿絵の仕事で生計を立てていた。
  • 澁澤龍彦が評価。「通俗シュルレアリスム」と呼ぶ。

代表作品

引用文献

注釈

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