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1966年(昭和41年)、[[ローズ秋山]]がアブノーマル演劇と銘打った<女体責め>の劇をやっていたと[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)1月号に紹介。 | 1966年(昭和41年)、[[ローズ秋山]]がアブノーマル演劇と銘打った<女体責め>の劇をやっていたと[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)1月号に紹介。 |
2016年7月23日 (土) 10:47時点における版
概要
大阪夕凪橋にあったストリップ劇場。
別名
ダイコウミュージック、大阪ダイコー、ダイコーミュージックホール
所在地
大阪市港区八幡屋1-10-23
歴史
1963年(昭和38年)、益田凡児がダイコーミュージックをオープン[1]
1965年(昭和40年)7月、6月の京都に引き続き青木順子がベトナム動乱にちなんだSM劇[2]。
1966年(昭和41年)、ローズ秋山がアブノーマル演劇と銘打った<女体責め>の劇をやっていたと奇譚クラブ1967年(昭和42年)1月号に紹介。
1966年(昭和41年)、奇譚クラブ2月号, p157に丸鬼頭佐渡『青木順子さんについて』。1965年(昭和40年)7月の大阪ダイコウミュージックでの『気の弱い男の愛と死』『内気な男の愛と死』での向井一也との舞台の詳細を報告。
1970年(昭和45年)、ローズ秋山が公演。
1973年(昭和48年)、「天狗レス」ショー。
エピソード
- 「関西でも歴史の古い小屋。”キャバレー・ムードのヌード社交場”」と銘打つだけあって、舞台がなく、フロアショー・スタイルなのがここの劇場の特徴。
- 地下鉄・朝潮橋徒歩5分
引用文献
- ↑ cobanobuのブログ
- ↑ 1965年(昭和40年)9月号, p20