「SM8mm映画の歴史」の版間の差分
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1948年(昭和23年)、京都でモノクロ16mmの[[ブルーフィルム]]『'''情欲'''<ref group="注">別名が『'''強盗'''』</ref>』が製作<ref name="bluefilm">[[三木幹夫]]『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4881858041/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4881858041&linkCode=as2&tag=iq05-22 ブルーフイルム物語―秘められた映画75年史]'''』([[世文社]], 1981)</ref>。 | 1948年(昭和23年)、京都でモノクロ16mmの[[ブルーフィルム]]『'''情欲'''<ref group="注">別名が『'''強盗'''』</ref>』が製作<ref name="bluefilm">[[三木幹夫]]『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4881858041/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4881858041&linkCode=as2&tag=iq05-22 ブルーフイルム物語―秘められた映画75年史]'''』([[世文社]], 1981)</ref>。 | ||
2015年1月28日 (水) 08:39時点における版
歴史
1932年(昭和7年)頃、家庭用に8mmフィルムが発売され出す。
1948年(昭和23年)、京都でモノクロ16mmのブルーフィルム『情欲[注 1]』が製作[1]。
1949年(昭和24年)、東京でモノクロ16mmのブルーフィルム『ラブゲーム』が製作[1]。
1952年(昭和27年)5月、本郷にある寺院で伊藤晴雨による写真・8mmの撮影会がおこなわれ、写真は粹古堂より頒布。モデル:小山康子、撮影:武田湖舟[2]。
1953年(昭和28年)、国産最初のカラー16mmのブルーフィルムが伊東で製作[1]。
1970年代?、向井一也の8mm映画作品『足の下の心情』
1979年(昭和54年)頃、コバルト社が長田英吉作・演出のオサダ・ゼミナール8mm作品を代理販売していた。
谷ナオミ8mm作品
- 「特殊三角関係」(8mm)
- 「お伝色ざんげ」(8mm)
- 「裏町色ざんげ 谷ナオミ T-360」(8mm, ライリー)
- 「縛りの美学 谷ナオミ T-361」(8mm, ライリー)
- 「縛る!」 (8mm)
- 「ラブロマンシリーズ しばり肌 PT3027」 (8mm, 制作:日活株式会社、提供:東映株式会社、販売:富士映像システム株式会社)(『お柳情炎 縛り肌』(日活, 1975.06.18)を8mmに編集したもの)
- 「ラブロマンシリーズ 黒バラ夫人 PT3301」 (8mm, 制作:株式会社にっかつ、販売:東映芸能ビデオ株式会社)(『黒薔薇夫人』(日活, 1978.4.1)を8mmに編集したもの)
- 「ラブロマンシリーズ なわ肌 PT3302」 (8mm, 制作:株式会社にっかつ、販売:東映芸能ビデオ株式会社)(『新妻地獄』(日活, 1975.12.06)を8mmに編集したもの)
- 「のり合い妻」 (8mm 制作:ワールドシネ アンド ビデオ、販売:サン・グラフ)
トピック
- 1974年(昭和49年)に玉井敬友が向井一也を梅田「シアター喫茶・スキャンダル」に呼んだきっかけは、向井一也の8mm映画作品『足の下の心情』を観て興味をもったため。向井一也は髭をはやした無口な男性で、芝居は哲学的な内容だった[3]。
引用文献
注釈
- ↑ 別名が『強盗』