「市村座」の版間の差分
提供:SMpedia
編集の要約なし |
(→歴史) |
||
15行目: | 15行目: | ||
1793年(寛政5年)、再度経営が破綻して休座。 | 1793年(寛政5年)、再度経営が破綻して休座。 | ||
1828年(文政11年)5月9日、[[市村座]]でおこなわれた『'''菅原伝授手習鑑'''』の[http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/BANDUKE/DIGITAL/02_008/IMG005.JPG 絵本番付に縛りの絵]がある。 | |||
1842年(天保13年)、浅草猿若町に移転。 | 1842年(天保13年)、浅草猿若町に移転。 | ||
27行目: | 29行目: | ||
1932年(昭和7年)、火災にて焼失。 | 1932年(昭和7年)、火災にて焼失。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*堺町の[[中村座]]と葺屋町の[[市村座]]は同じ通りに面した目と鼻の先に建っていた。 | *堺町の[[中村座]]と葺屋町の[[市村座]]は同じ通りに面した目と鼻の先に建っていた。 |
2012年11月12日 (月) 11:58時点における版
概要
1634年(寛永11年)に始まる古い芝居小屋。江戸三座のひとつ。大正時代に全盛となる。
別名
村山座
所在地
日本橋葺屋町、浅草猿若町
歴史
1634年(寛永11年)、日本橋葺屋町に村山座として開座。
1652年(承応元年)、市村座と改名。
1685年(貞享2年)、江戸市村座で初代市川團十郎 が大ヒット。金平浄瑠璃の影響をうけた「荒事」。
1784年(天明4年)、経営が破綻して3年間の休座を町奉行所に願い出た。
1793年(寛政5年)、再度経営が破綻して休座。
1828年(文政11年)5月9日、市村座でおこなわれた『菅原伝授手習鑑』の絵本番付に縛りの絵がある。
1842年(天保13年)、浅草猿若町に移転。
1892年(明治25年)、下谷二長町に移転。
大正時代、六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門で全盛期。「菊吉時代」「二長町時代」
1931年(昭和6年)、河原崎長十郎が劇団前進座の旗揚げ公演。
1932年(昭和7年)、火災にて焼失。