「中一彌」の版間の差分
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*[[須磨利之|高月大三]]『'''戦後の挿繪に現れた女の責め場'''』[[奇譚クラブ]] 1953年(昭和28年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195305/01/006.html 口絵]で紹介されている。 | *[[須磨利之|高月大三]]『'''戦後の挿繪に現れた女の責め場'''』[[奇譚クラブ]] 1953年(昭和28年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195305/01/006.html 口絵]で紹介されている。 | ||
*作家'''逢坂剛'''は三男。 | *作家'''逢坂剛'''は三男。 | ||
*「私はやはり純日本的な顔が好きです。どうも近頃の女性の中からはモデルにしたいと思う女性はみつかりそうもありません」と述べている。 | |||
==作品== | ==作品== |
2011年11月27日 (日) 16:48時点における版
なか かずや、1911年(明治44年)1月29日-
概要
別名
中一弥
略歴
1911年(明治44年)1月29日、大阪府門真市に生まれる。
1927年(昭和2年)、小田富弥に入門[注 1]。
1929年(昭和4年)5月、宝塚にいたころ葉多黙太郎が神戸新聞に連載していた「平安異香」に挿絵を描いたのがデビュー作[1]。
1929年(昭和4年)、名古屋新聞に連載していた直木三十五『本朝野士縁起』の挿絵。
1948年(昭和23年)7月、竹田敏彦『地獄を憧れる女』の挿絵。「小説の泉」(矢貴書店)
1971年(昭和46年)、第6回長谷川伸賞受賞
1993年(平成5年)、第41回菊池寛賞受賞
1996年(平成8年)、勲四等瑞宝章受章
2010年(平成22年)、「池波正太郎の世界」の表紙担当。
エピソード
- 高月大三『戦後の挿繪に現れた女の責め場』奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号, 口絵で紹介されている。
- 作家逢坂剛は三男。
- 「私はやはり純日本的な顔が好きです。どうも近頃の女性の中からはモデルにしたいと思う女性はみつかりそうもありません」と述べている。
作品
引用文献
- ↑ 『粋美挿画』Vol.1(日本出版美術家連盟, 2010)の「挿絵画家・中一弥」より。
注釈
- ↑ 大阪朝日新聞に連載していた大佛次郎「照る日くもる日」の小田富弥の挿絵に憧れていた。