「あまとりあ」の版間の差分

提供:SMpedia
13行目: 13行目:


== 主な出来事==
== 主な出来事==
1950年(昭和25年)11月、[[中田雅久]]が原稿依頼に[[高橋鐵]]を訪れたのをきっかけに、当時[[あまとりあ]]の創刊を計画していた[[高橋鐵]]と[[久保藤吉]]に誘われて[[あまとりあ社]]に入社<ref name="kaikoroku">[[中田雅久]]『'''[[あまとりあ]]回顧録'''』in 藤本義一編『'''[http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=iq05-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=B000J8XBOU あまとりあ傑作選]'''』(東京スポーツ新聞社, 1977)</ref>。
1951年(昭和26年)3月、創刊。
1951年(昭和26年)3月、創刊。
1951年(昭和26年)4月21日、『[[あまとりあ]]』の発行が軌道に乗ったことを祝し、「'''あまとりあ祭'''」として80名で伊豆・蓮台寺温泉に旅行。一行には[[高橋鐵]]、[[伊藤晴雨]]、三宅一朗、川上三太郎、岡田甫、池田文痴庵、正岡容、林家正楽、[[北里俊夫]]、南部僑一郎、[[武野藤介]]、小野常徳が<ref name="kaikoroku"></ref>。


1955年(昭和30年)8月、終刊。終刊号の編集に[[須磨利之]]が関わっている。
1955年(昭和30年)8月、終刊。終刊号の編集に[[須磨利之]]が関わっている。
==主な寄稿者==
==主な寄稿者==
[[武野藤介]]
[[武野藤介]]

2011年3月11日 (金) 18:50時点における版

あまとりあ 1951年(昭和26年)3月創刊号

あまとりあ

概要

発行年・出版社

1951年(昭和26年)3月-1955年(昭和30年) あまとりあ社久保書店

発行人・編集人

編集人:中田雅久

印刷人:久保長吉

主な出来事

1950年(昭和25年)11月、中田雅久が原稿依頼に高橋鐵を訪れたのをきっかけに、当時あまとりあの創刊を計画していた高橋鐵久保藤吉に誘われてあまとりあ社に入社[1]

1951年(昭和26年)3月、創刊。

1951年(昭和26年)4月21日、『あまとりあ』の発行が軌道に乗ったことを祝し、「あまとりあ祭」として80名で伊豆・蓮台寺温泉に旅行。一行には高橋鐵伊藤晴雨、三宅一朗、川上三太郎、岡田甫、池田文痴庵、正岡容、林家正楽、北里俊夫、南部僑一郎、武野藤介、小野常徳が[1]

1955年(昭和30年)8月、終刊。終刊号の編集に須磨利之が関わっている。

主な寄稿者

武野藤介

エピソード

  • 高橋鐵からの依頼で中田雅久が始める。
  • 高橋鐵の自宅が実質的な編集分室。
  • タイトルは、ラテン語の「アルス・アマトリア」=性愛の技術が由来。

引用文献

  1. 1.0 1.1 中田雅久あまとりあ回顧録』in 藤本義一編『あまとりあ傑作選』(東京スポーツ新聞社, 1977)

藤本義一『あまとりあ傑作選』(東京スポーツ新聞社出版局, 1977)

注釈

お役たちweb

つながり

高橋鐵