「スペシャリーS&M」の版間の差分
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1978年(昭和53年)6月、『スペシャリーS&M 1号 悦楽交歓者 記録写真特集』創刊。[[六本木薫]]が書いている。 | |||
1978年(昭和53年)、『スペシャリーS&M 2号 縄絆・被虐歓喜妻フォト集』。[[志摩紫光]]の名前。 | |||
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*『スペシャリーS&M 5号 | 1978年(昭和53年)、『スペシャリーS&M 3号 緊縛溺酔の美学』。[[大共社]]の広告が。「愉芽の叢説」の副題も追加。 | ||
*『スペシャリーS&M 4号 被虐欲激残人妻特集』。[[大共社]]の広告で「スペシャリーS&M臨時増刊第1号 惑溺の競艶写真特集」「緊縛フォト集」が出ている。編集後記には「[[大共社]]のグラフィック誌に[[日月舎]]の名前が併記されているのでファンが心配」といった内容のことが書いてある。 | |||
*『スペシャリーS&M 5号 異常初体験特集』。[[大共社]]の分譲フォト(小山啓子)の広告。伊東洋一の名前。 | |||
1979年(昭和54年)6月20日、[[大共社]]より『スペシャリーS&M 特別臨時増刊第2号 [http://nawa-art.com/etc/spe_sm_197906ext/001.html 惑溺の競艶写真特集]』 | |||
1979年(昭和54年)7月、『スペシャリーS&M 6号 遠藤道子』。[[日月舎]]の住所が「新宿区西早稲田2-17-19大共社スペシャリー編集部」に変更。 | |||
1979年(昭和54年)9月、『スペシャリーS&M 7号』1981年(昭和56年)。 | |||
*『スペシャリーS&M 8号 宮島貴子』1981年(昭和56年) | *『スペシャリーS&M 8号 宮島貴子』1981年(昭和56年) | ||
*『別冊スペシャリーS&M 群浣 創刊第1集 美囚四性隷女、淫虐秘録写真集』1982年(昭和57年) | *『別冊スペシャリーS&M 群浣 創刊第1集 美囚四性隷女、淫虐秘録写真集』1982年(昭和57年) |
2010年10月27日 (水) 21:25時点における版
『スペシャリーS&M』(すぺしゃりーえすえむ)は、SM雑誌である。
概要
「愛の提言誌」としてサンアンドムーンを離脱した世田介一が創刊した雑誌。第7号で再び世田介一は離脱する。
発行年・出版社
発行所:日月舎(練馬区春日町6-6メイ巧房内) 販売元:大共社(途中で発行所も大共社に)。
発行人・編集人
編集・発行者:世田介一
編集・発行者:山谷秋人
主な出来事
1978年(昭和53年)6月、『スペシャリーS&M 1号 悦楽交歓者 記録写真特集』創刊。六本木薫が書いている。
1978年(昭和53年)、『スペシャリーS&M 2号 縄絆・被虐歓喜妻フォト集』。志摩紫光の名前。
1978年(昭和53年)、『スペシャリーS&M 3号 緊縛溺酔の美学』。大共社の広告が。「愉芽の叢説」の副題も追加。
- 『スペシャリーS&M 4号 被虐欲激残人妻特集』。大共社の広告で「スペシャリーS&M臨時増刊第1号 惑溺の競艶写真特集」「緊縛フォト集」が出ている。編集後記には「大共社のグラフィック誌に日月舎の名前が併記されているのでファンが心配」といった内容のことが書いてある。
- 『スペシャリーS&M 5号 異常初体験特集』。大共社の分譲フォト(小山啓子)の広告。伊東洋一の名前。
1979年(昭和54年)6月20日、大共社より『スペシャリーS&M 特別臨時増刊第2号 惑溺の競艶写真特集』
1979年(昭和54年)7月、『スペシャリーS&M 6号 遠藤道子』。日月舎の住所が「新宿区西早稲田2-17-19大共社スペシャリー編集部」に変更。
1979年(昭和54年)9月、『スペシャリーS&M 7号』1981年(昭和56年)。
- 『スペシャリーS&M 8号 宮島貴子』1981年(昭和56年)
- 『別冊スペシャリーS&M 群浣 創刊第1集 美囚四性隷女、淫虐秘録写真集』1982年(昭和57年)
- 『スペシャリーS&M 特別臨時増刊第10号』