「森下高茂」の版間の差分

提供:SMpedia
26行目: 26行目:
''主なもの''
''主なもの''


*『残虐なる女性たち』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)~1958年(昭和33年)年連載(森本愛造)。
*[[森本愛造|谷貫太]]『残虐なる女性たち』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)~1958年(昭和33年)年連載。
*『現代マゾヒズム芸術時評』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載(原忠正)。
*[[原忠正|谷貫太]]『現代マゾヒズム芸術時評』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載。
*『マゾヒズムへの招待』[[裏窓]]1960年(昭和35年)連載。
*『マゾヒズムへの招待』[[裏窓]]1960年(昭和35年)連載。
*『マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1960年(昭和35年)~1961年(昭和36)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|谷貫太]]『マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1960年(昭和35年)~1961年(昭和36)年連載。
*原忠正『『あけぼの会事件』について』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)2月号、[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196102/196102_068.html p212]-[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196102/196102_069.html p213]。
*[[原忠正|谷貫太]]『『あけぼの会事件』について』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)2月号、[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196102/196102_068.html p212]-[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196102/196102_069.html p213]。
*[[森下高茂|谷貫太]]『[[John Willie|ジョン・ウィリー]]原作ならびに絵 グエンドリンの降伏と冒険』[[画報風俗奇譚]]1961年(昭和36年)5月号増刊号、[http://nawa-art.com/etc/fk/GFK196105/074.html p107]
*[[森下高茂|谷貫太]]『[[John Willie|ジョン・ウィリー]]原作ならびに絵 グエンドリンの降伏と冒険』[[画報風俗奇譚]]1961年(昭和36年)5月号増刊号(第12集)、[http://nawa-art.com/etc/fk/GFK196105/074.html p107]
*『マゾヒズム文化時評』[[裏窓]]1962年(昭和37年)~1964年(昭和39年)連載。
*『マゾヒズム文化時評』[[裏窓]]1962年(昭和37年)~1964年(昭和39年)連載。
*『続・マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1962年(昭和37年)~1964年(昭和39)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|谷貫太]]『続・マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1962年(昭和37年)~1964年(昭和39)年連載。
*『わたしの友人たち』[[風俗奇譚]]1964年(昭和39年)~1966年(昭和41)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|谷貫太]]『わたしの友人たち』[[風俗奇譚]]1964年(昭和39年)~1966年(昭和41)年連載。
*『もう一つの世界を散歩する』[[風俗奇譚]]1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に連載。
*『もう一つの世界を散歩する』[[風俗奇譚]]1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に連載。
*『新・マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1966年(昭和41年)~1968年(昭和43)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|谷貫太]]『新・マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1966年(昭和41年)~1968年(昭和43)年連載。
*『レターM』[[風俗奇譚]]1968年(昭和43)~1974年(昭和49)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|谷貫太]]『レターM』[[風俗奇譚]]1968年(昭和43)~1974年(昭和49)年連載(谷貫太)。
*『フェティシズム』[[SMキング]]創刊号(1972)から連載。
*『フェティシズム』[[SMキング]]創刊号(1972)から連載。



2010年7月27日 (火) 08:21時点における版

もりした たかしげ、1927年(昭和2年)[1]

活動内容

風俗史研究家。文筆家。

別名

谷貫太、森本愛造、原忠正、森下小太郎(本名)、天泥盛英(あまでもりえ)、フェニクス商会、T. C. Moriscita, マックス・フォン・ティーツェム

略歴

1960年(昭和35年)、別冊風俗奇譚上に「ニュートリクス(Nutrix)・コーナー」「ニュートリクス画廊」の記事が頻繁に現れる。

1960年(昭和35年)、8月28日「週刊現代」に「あけぼの会事件」をたたかれる[2]

1964年(昭和39年)、あまとりあ社から『ショッキング画集1』を出版。John Willieなどのイラスト集。解説文を濡木痴夢男と共に書いている。

エピソード

  • 奇譚クラブ』『裏窓』『風俗奇譚』などで海外のフェチシズムを紹介。
  • 森下からFakir Musafarを通じて、日本の緊縛写真が米国に流れていた。
  • 濡木痴夢男Fakir Musafarを紹介した。
  • 1981年(昭和56年)の「諸君」(文藝春秋社)で「家畜人ヤプー」の作者沼正三が東京高裁判事倉田卓次氏だということを暴露。現在ではこれは誤認識とされている。
  • 昭和30年代に横浜本牧にSMグッズ店をもっていた[3]
  • 風俗奇譚1961年頃に広告を出していた『泰西出版資料会社』は森下高茂の会社と推測される。本社は横浜市中区北方町1-67。東京出張所は渋谷区上通り3-28(スカラ座筋向かい)の喫茶「ら・ぷらた」となっている。ヌートリクス社の日本総代理店とある。
  • 小田急線相模大野駅付近に金髪の夫人と住んでいた[3]

代表作

主なもの

  • 谷貫太『残虐なる女性たち』奇譚クラブ1953年(昭和28年)~1958年(昭和33年)年連載。
  • 谷貫太『現代マゾヒズム芸術時評』奇譚クラブ1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載。
  • 『マゾヒズムへの招待』裏窓1960年(昭和35年)連載。
  • 谷貫太『マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1960年(昭和35年)~1961年(昭和36)年連載。
  • 谷貫太『『あけぼの会事件』について』奇譚クラブ1961年(昭和36年)2月号、p212-p213
  • 谷貫太ジョン・ウィリー原作ならびに絵 グエンドリンの降伏と冒険』画報風俗奇譚1961年(昭和36年)5月号増刊号(第12集)、p107
  • 『マゾヒズム文化時評』裏窓1962年(昭和37年)~1964年(昭和39年)連載。
  • 谷貫太『続・マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1962年(昭和37年)~1964年(昭和39)年連載。
  • 谷貫太『わたしの友人たち』風俗奇譚1964年(昭和39年)~1966年(昭和41)年連載。
  • 『もう一つの世界を散歩する』風俗奇譚1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に連載。
  • 谷貫太『新・マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1966年(昭和41年)~1968年(昭和43)年連載。
  • 谷貫太『レターM』風俗奇譚1968年(昭和43)~1974年(昭和49)年連載(谷貫太)。
  • 『フェティシズム』SMキング創刊号(1972)から連載。

脚注

  1. ネット情報による
  2. 古田純夫『「あけぼの会事件」に思う』奇譚クラブ1960年(昭和35年)12月号, p162
  3. 3.0 3.1 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)

つながり

濡木痴夢男 Fakir Musafar

お役たちweb