「テンプレート:あけぼの会」の版間の差分

提供:SMpedia
 
11行目: 11行目:


1959年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで開催された'''[[あけぼの会]]'''に参加した会社員、藤倉が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る。その後、[[森下高茂]]、[[中条泰太郎]]は逮捕・送検。
1959年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで開催された'''[[あけぼの会]]'''に参加した会社員、藤倉が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る。その後、[[森下高茂]]、[[中条泰太郎]]は逮捕・送検。
1960年(昭和35年)6月、『'''[[風俗奇譚]]'''』6月号に[[谷貫太]]『'''マゾヒストの手紙から'''』が掲載<ref group="注">[[奇譚クラブ]]1960 年(昭和35年)7月号の[[沼正三]]『'''雑報欄'''』にこの記事に対するコメント。「これは[[曙会]]系の資料ではないかと想像される」とある。</ref>。


1960年(昭和35年)8月、上記の事件が『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号の記事となり、SM愛好家や[[奇譚クラブ]]に対するバッシングが起こる。
1960年(昭和35年)8月、上記の事件が『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号の記事となり、SM愛好家や[[奇譚クラブ]]に対するバッシングが起こる。

2023年12月11日 (月) 08:00時点における最新版

1959年(昭和34年)に森下高茂が設立したSMサークル。SM愛好者を集めてプレイをおこなっていたが、撮影写真をめぐるトラブルで刑事事件に。週刊現代の記事となり、SMや奇譚クラブに対するバッシングへ(あけぼの会事件)。

あけぼの会事件を面白おかしく報じる週刊現代1960年8月28日号[1]
あけぼの会事件に関する原忠正名での森下高茂の主張[2]
あけぼの会事件の主犯として週刊現代1960年8月28日号[1]に紹介される森下小太郎(森下高茂の本名)。
あけぼの会事件の舞台として週刊現代1960年8月28日号[1]に紹介された「みやこホテル」。

概要

1959年(昭和34年)11月に発生した奇譚クラブの常連寄稿者であった森下高茂が主宰するSMサークル関連のトラブル。「週刊現代」ではでに「変態行為」と攻撃されたためにSMに関するネガティヴなイメージが世間に広がることになった。

あけぼの会の歴史

1959年(昭和34年)4月頃、森下高茂が自ら経営する会社の元社員の中条泰太郎などと共に、「あけぼの会」の本格的な活動開始。入会金千円、会費二千円/月。仲介料が3000-5000円。女性は田崎美代子ら12名に増える[1]

1959年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで開催されたあけぼの会に参加した会社員、藤倉が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る。その後、森下高茂中条泰太郎は逮捕・送検。

1960年(昭和35年)6月、『風俗奇譚』6月号に谷貫太マゾヒストの手紙から』が掲載[注 1]

1960年(昭和35年)8月、上記の事件が『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号の記事となり、SM愛好家や奇譚クラブに対するバッシングが起こる。

あけぼの会事件の概要

「週刊現代」による[1]

  • 1958年(昭和33年)9月、『奇譚クラブ』で同好の士を全国から募集。これを機に「あけぼの会」の設立を計画。
  • 「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」と広告。中条泰太郎、大島、西岡らを部下として3名の女性を会員にあっせんし変態行為をさせる。
  • 1959年(昭和34年)4月頃、「あけぼの会」が本格的に活動開始。入会金千円、会費二千円/月。仲介料が3000-5000円。女性は田崎美代子ら12名に増える。
  • 1959年(昭和34年)7-9月、「みやこホテル」「大洋ホテル」で活動。
  • 1959年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで「あけぼの会」主催の撮影会。18名参加。
  • 同年10月頃、上記の撮影会に参加した会社員藤倉が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る。
  • 1959年(昭和34年)11月、目黒碑文谷署は森下高茂を、売春防止法違反、恐喝、同未遂、公然ワイセツ等の容疑で逮捕。「あけぼの会」の手入れ。検挙されるまでに100万円ぐらいをあらかせぎ。
  • 森下高茂中条泰太郎は送検されたが、森下高茂は保釈中。

奇譚クラブ読者による週刊現代報道への疑義[2]

  • 奇譚クラブ』で同好の士を全国から募集した形跡はない。
  • 主催者が恐喝をするとは考えられない。

奇譚クラブ誌上での森下高茂の主張[3]

  • 売春同様の事実がーー私に秘してーー行われていた事を後に知った。
  • 盗みとり写真の一件は、全く事実と違っている。
  • (藤倉)が、ポジとネガを別途に自分の記念として、買い取ることの約束の上(で写真撮影したが)言を左右にして買わず、更には、ワイセツなどで訴え出ると脅して、無料で取り上げようとした。
  • (そこで)永いこと世話をしていたY(中条秦太郎)に然るべき交渉を頼んだところ、Y がそれを他の金融業者に持ち込み、(私はその男が暴力団であるとは、その時は知りませんでした))密告者に申出た値段の半分で、買上げられてしまった。
  • 彼(藤倉)が密告したのば、この件の為でなく、むしろ、幼少者強姦が出来なかった事に対する不満と、私との感情的やりとりに端を発していると思います。
  • (マスコミは)私が、この件で或いは二千万円といい、或は二百万円といい、利益を得たように書き立てていますが、過去九年問に、私は数十万円の持ち出しはしましたが、儲けるところまではゆきませんでした。

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版ー」『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-74.
  2. 2.0 2.1 吉田純夫「あけぼの会事件』に思う」奇譚クラブ1960年12月号
  3. 原忠正『『あけぼの会事件』について』奇譚クラブ1961年(昭和36年)2月号, p212

注釈

  1. 奇譚クラブ1960 年(昭和35年)7月号の沼正三雑報欄』にこの記事に対するコメント。「これは曙会系の資料ではないかと想像される」とある。

お役たちweb

つながり

森下高茂 エロ法規制の歴史