「名和徹」の版間の差分
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2020年9月13日 (日) 16:38時点における版
なわ とおる、1923年(大正12年)-。大正生まれの緊縛師。玉井敬友が主催するシアタースキャンダルでSM劇の制作に関わった後に、1980年代後半、1990年代初めのアートビデオで監督や出演者として名が残っている『名和企画』の主宰者。
概要
緊縛師。AV監督。
別名
略歴
1923年(大正12年)2月、大阪府に生まれる[1]。
1950年(昭和25年)頃、SMを始める[1]。
1980年(昭和55年)1月、SM奇譚1月号に「名和企画」の広告。連絡先は大阪。
1983年(昭和58年)9月、SMサロン『タントラの館』をオープン。
1984年(昭和59年)7月、S&Mスナイパー1984年7月号から『私のSM回想録』の連載開始。
1986年(昭和61年)7月、S&Mスナイパー1985年7月号から『名和徹のSM縛り歩記』の連載開始。
1987年(昭和62年)6月、S&Mスナイパー1987年6月号から『名和徹の緊縛電影行状顛末譚』の連載開始。
1988年(昭和63年)、フォトスナイパー4月号に「名和徹のSMシアター SM女囚被虐撮影会」の案内。3月11日中野クィーンにて。モデル:胡桃沢麗。
1990年(平成2年)2月20日、『会員制SMサロン・名和』をオープン。新宿区新宿5ー1ー4新宿イン701。
1993年(平成5年)2月6日、「みんなで縛ろう会」の案内が「名和企画」でエピキュリアン2月号に出ている。
エピソード
- 玉井敬友が主催するシアタースキャンダルの初期マネージャーをやっていた[1]。
- SMスナイパーの誌上掲示板に『名和徹のみんなで縛ろう会』[2]
- 1980年代には中野クィーンで定期的に『名和徹のSMシアター』を開催。
代表作
AV
- 『隷奴・亜理沙』(アートビデオ, 1988)(監督:峰一也、出演:名和徹、亜理沙、黒田透)
- 『愛虐奴隷2』(アートビデオ, 1989.10.5)(監督:名和徹、出演:田中優子)
- 『阿修羅2』(アートビデオ, 1989.11.14)(監督:名和徹、出演:松本かおり)
- 『恥辱の美少女』(シネマジック, 1989)(監督:峰一也、縄師:濡木痴夢男、脚本:名和徹)
- 『淫虐地獄』(アートビデオ, 1990.1.11)(監督:名和徹、出演:詠美、沙也加)
- 『淫虐地獄2』(アートビデオ, 1990.10.12)(監督:名和徹、出演:森尾歩衣)
- 『人妻奴隷極道の贄2』(アートビデオ, 1996)(監督:夢流ZOU、出演:倉沢萌、名和徹)[2]