「スタジオファントム」の版間の差分

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1989年(昭和64年)、「一般会員撮影会」を発足。不定期に野外撮影会。その後「SF<ref group="注">[[スタジオファントム]]の略</ref>の会<ref group="注">ソフト路線で広い会員を対象とした</ref>」「伝鬼の会<ref group="注">少人数、高額のマニア向けの会</ref>」など4つの会を主宰<ref name="epi"></ref>。
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1989年(平成元年)7月、[[S&Mスナイパー]]7月号の[[中田耕治]]の『'''性の世界'''』で[[スタジオファントム]]SM調教会のレポート。


1994年(平成6年)4月、[[TOPAZ]]4月号で『'''[[明智伝鬼]]調教日誌'''』として[[スタジオファントム]]のショーや「緊縛秘湯の旅」が紹介。
1994年(平成6年)4月、[[TOPAZ]]4月号で『'''[[明智伝鬼]]調教日誌'''』として[[スタジオファントム]]のショーや「緊縛秘湯の旅」が紹介。

2020年8月25日 (火) 20:58時点における版

エピキュリアン』『夜遊び隊』1992年(平成4年)2月増刊号に掲載されているスタジオファントム企画のイベント。

概要

明智伝鬼が1987年(昭和62年)に作ったオフィス。撮影会、SMショーなどの企画をおこなっていた。

別名

所在地

東京都渋谷区笹塚2-1-10スカイプラザ笹塚

歴史

1987年(昭和62年)7月、スタジオファントム主催の「特別会員の会」(「スタジオファントム特別会員撮影会」)を組織[1][2][注 1]

1987年(昭和62年)9月、「SM実験劇場スタジオファントム」を旗揚げ[注 2]。最初月に1回、88.1より月2回の定例公演として1997年(平成9年)6月までの10年間の長期公演[1]

1989年(昭和64年)、「一般会員撮影会」を発足。不定期に野外撮影会。その後「SF[注 3]の会[注 4]」「伝鬼の会[注 5]」など4つの会を主宰[1]

1989年(平成元年)7月、S&Mスナイパー7月号の中田耕治の『性の世界』でスタジオファントムSM調教会のレポート。

1994年(平成6年)4月、TOPAZ4月号で『明智伝鬼調教日誌』としてスタジオファントムのショーや「緊縛秘湯の旅」が紹介。

1997年(平成9年)6月22日、『天国と地獄・悦虐愛奴狂乱』にて中野クィーンでのスタジオファントムのショーを終える。

2017年(平成29年)10月14日、神凪が会員制スタジオファントムを復活。第一回目のファントムショーを開催。モデル:三代目葵マリー

エピソード

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 エピキュリアン』『夜遊び隊』1992年(平成4年)2月増刊号
  2. 北原童夢『明智伝鬼と戦後日本のSM史』in 『変態さんがいく』(別冊宝島編集部, 2000)

注釈

  1. 桜田伝次郎GSG企画の活動を停止することになったので、自ら緊縛を継続できる体制を作った(才勝 私信 to U)
  2. 当時、中野クィーンではSMショーをおこない、渋谷区笹塚の事務所では撮影会を行っていた模様。
  3. スタジオファントムの略
  4. ソフト路線で広い会員を対象とした
  5. 少人数、高額のマニア向けの会

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