「唄子の店」の版間の差分
提供:SMpedia
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
7行目: | 7行目: | ||
==歴史== | ==歴史== | ||
1974年(昭和49年)11月、[[SMファンタジア]]11月創刊号に「観光スタンドバー『唄子』」の広告。「女装の部」「男性的HOMO、SMの部」「SM女王の部」「唄子の部」の4部を募集。 | |||
1980年(昭和55年)1月、[[SM奇譚]]1月号に『[[全国友好親睦会]]』の広告。新店舗はアベノ体育館裏・観光スタンドクラブ「雄・雌・唄子」とある。 | 1980年(昭和55年)1月、[[SM奇譚]]1月号に『[[全国友好親睦会]]』の広告。新店舗はアベノ体育館裏・観光スタンドクラブ「雄・雌・唄子」とある。 | ||
2016年11月21日 (月) 17:50時点における版
概要
1963年(昭和38年)年頃、大阪阿倍野の阿倍野体育館の裏にあったバー。店主は当時40代の女装趣味者。1Fがスタンドバーで2Fがプレイルーム。SM、ホモ、レズ、3P愛好者などが集っていた。長池士が出入りしていた。(いそのえいたろう『性狂伝』(徳間書店, 1999)、奥山五月『SM大阪人』より)。
別名
所在地
大阪阿倍野でスタートしたが、火事でお店が焼けたために、同じ阿倍野区の阿倍野体育館の裏に移転[1]。
歴史
1974年(昭和49年)11月、SMファンタジア11月創刊号に「観光スタンドバー『唄子』」の広告。「女装の部」「男性的HOMO、SMの部」「SM女王の部」「唄子の部」の4部を募集。
1980年(昭和55年)1月、SM奇譚1月号に『全国友好親睦会』の広告。新店舗はアベノ体育館裏・観光スタンドクラブ「雄・雌・唄子」とある。