「早乙女宏美」の版間の差分

提供:SMpedia
26行目: 26行目:


==エピソード==
==エピソード==
*2005年頃、若松劇場SM大会の主催をしていた<ref name="asaya">[[麻屋霞寿]]からの指針 to Ykotake (2010)</ref>。
*2005年頃、若松劇場SM大会の主催をしていた<ref name="asaya">[[麻屋霞寿]]からの私信 to Ykotake (2010)</ref>。
*若松・大宮・郡山・西川口の各ストリップ劇場を運営していた林企画に所属していたことがあった<ref name="asaya"></ref>。
*若松・大宮・郡山・西川口の各ストリップ劇場を運営していた林企画に所属していたことがあった<ref name="asaya"></ref>。
*[[長田英吉]]の遺品である『4連式桜の木製滑車』を持っていた<ref>早乙女宏美『物神たちの囁き「マゾヒストの小道具箱」』S&Mスナイパー2005年8月号</ref>。
*[[長田英吉]]の遺品である『4連式桜の木製滑車』を持っていた<ref>早乙女宏美『物神たちの囁き「マゾヒストの小道具箱」』S&Mスナイパー2005年8月号</ref>。

2010年3月26日 (金) 09:48時点における版

さおとめ ひろみ、19xx年(昭和xx年)6月20日-

活動内容

女優。文筆家。

別名

Hiromi Saotome

略歴

1980年(昭和55年)、賀山茂のSMサロンSAMMに参加[1]

1983年(昭和58年)、『親切ぶり強漢』(榛葉大吉監督、東活)に出演[注 1]

1983年(昭和58年)、ビニ本のモデル[注 2]

1984年(昭和59年)、『縄姉妹 奇妙な果実』(中原俊監督、にっかつ)に出演[注 3]

1984年(昭和59年)、伊集院剛の『THE SM』(ミリオンフィルム)に出演。

1985年(昭和60年)、伊集院剛の『ザ・折檻』(雄プロ)に出演。

1986年(昭和61年)、『地獄のローパー 緊縛・SM・18才』[注 4](片岡修二監督、国映)に出演。

1986年(昭和61年)、長田英吉とショーを開始。

2009年(平成21年)11月、銀座「ブラックハート」[注 5]のママ。同店で緊縛教室も開催[注 6]

エピソード

  • 2005年頃、若松劇場SM大会の主催をしていた[2]
  • 若松・大宮・郡山・西川口の各ストリップ劇場を運営していた林企画に所属していたことがあった[2]
  • 長田英吉の遺品である『4連式桜の木製滑車』を持っていた[3]

作品

映画

代表的なもの

書籍

参考資料

  1. 『賀山茂の世界』より(既に閉鎖されたHP)。
  2. 2.0 2.1 麻屋霞寿からの私信 to Ykotake (2010)
  3. 早乙女宏美『物神たちの囁き「マゾヒストの小道具箱」』S&Mスナイパー2005年8月号

注釈

  1. 日本映画データベースによると最初の出演作品。
  2. 自身のブログのプロフィールより。
  3. 自身のブログにはこの作品がデビュー作とある。
  4. この作品は、「S&M hunter」として米国でも販売され、カルト的な名作となっている。上45mもの高さでクレーン車に吊られるシーンを見せたが、これは早乙女が自ら持ち込んだ企画。田中欣一がスチール写真(私信 to U)
  5. 2010年の年頭から毎月第3土曜日に志摩紫光が1日店長として参加している。
  6. マスター・キクチが講師のようである。

つながり

お役たちweb