「美芸会」の版間の差分
提供:SMpedia
(→つながり) |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
[[画像:Reiko_tachibana2.jpg|250px|thumbnail|[[美芸会]]を代表する女王様、[[立花玲子]]。]] | [[画像:Reiko_tachibana2.jpg|250px|thumbnail|[[美芸会]]を代表する女王様、[[立花玲子]]。]] | ||
[[松田富治男]]が1966年(昭和41年)に大阪で発足させたSMサークル。1971年には静岡に移り[[立花玲子]]が前面に。その後東京に移り80年代にはビデオ制作。 | |||
==概要== | ==概要== | ||
[[松田富治男]]が1966年(昭和41年)に大阪で発足させたSMサークル。1971年(昭和46年)には静岡に移り、[[立花玲子]]を中核とした女王様サークルとなる。やがて東京に進出。ビデオの製作会社名でもある。[[SMクラブの歴史]]において重要な位置をしめる。 | [[松田富治男]]が1966年(昭和41年)に大阪で発足させたSMサークル。1971年(昭和46年)には静岡に移り、[[立花玲子]]を中核とした女王様サークルとなる。やがて東京に進出。ビデオの製作会社名でもある。[[SMクラブの歴史]]において重要な位置をしめる。 |
2015年3月9日 (月) 09:12時点における版
松田富治男が1966年(昭和41年)に大阪で発足させたSMサークル。1971年には静岡に移り立花玲子が前面に。その後東京に移り80年代にはビデオ制作。
概要
松田富治男が1966年(昭和41年)に大阪で発足させたSMサークル。1971年(昭和46年)には静岡に移り、立花玲子を中核とした女王様サークルとなる。やがて東京に進出。ビデオの製作会社名でもある。SMクラブの歴史において重要な位置をしめる。
別名
美藝会
所在地
豊島区池袋2-1037(1984頃)
歴史
1966年(昭和41年)9月、松田富治男が大阪府寝屋川市で美芸会を発足[1]。
1971年(昭和46年)、美芸会は静岡県清水市に移る。
1970年代後半、美芸会は立花玲子を中核とした女王様サークルとして有名となる。
ビデオ
- 『SMの女王・立花令子のマゾ男調教』(美芸会, 1982)(30分。30,000円)[2]
- 『陽子の秘密』(美芸会, 1982)(出演:鈴木陽子。30分。15,000円)[2]
- 『私の女王様』(美芸会, 1982)(30分。23,000円)[2]
- 『立花沙織の好奇心』(美芸会, 1982.6.25)(出演:立花沙織、立花令子。60分。25,000円)[2]
- 『女王様のムチ遊び』
- 『疑惑のM男』
- 『女が女を責める時』(出演:立花玲子、藤さとみ)
- 『マゾ男地獄責め』
- 『マゾ女夢ごこち』(美芸会, 1984頃)
- 『変態撮りっぱなし』(美芸会, 1984頃)(出演:鈴木陽子)
- 『陽子の秘密 妊婦編』(美芸会, 1984頃)(出演:鈴木陽子)
- 『森に戯れて』(美芸会, 1984頃)(出演:藤さとみ)
- 『師匠はサド』(美芸会, 1984頃)(出演:立花玲子、藤さとみ)
エピソード
- 最初は『嗜虐の会』という名で会員を集める[1]。
- 発足時は会員数約30人。
- 20年弱で十万人以上の会員数。一時は全国で47支部[1]。
- 1977年(昭和52年)に村山浩介が会員。静岡に移る頃は約100名[1]。
- 入会規則が厳しく、団鬼六が『あの厳粛にして峻烈な入会規則書は読んだことがあります。』と述べている[3]。
- 2chに「鉄工所経営」をしていたという書き込みがある。
- 2chに「仲富士礼子」という女王様がいたとの書き込みがある。
- 他に、木村みどり、水野美栄子、松田麻美が在籍していた。
- 1970年末に11PM(月曜日)で、カルーセル麻紀が美芸会を取材する放送があった。
- 館淳一「男性Sの会員も入れたんですが、たとえSであっても、Mの気持ちを分かるためと称して、入会審査時に女王さまによるMプレイを受けるのが義務でした。」[4]
- 80年代初め、サオリ女王による調教の模様の音声を収録した30分か40分の収録時間のカセットテープを5千円で発売していた。[5]