「伊藤貞次郎」の版間の差分
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旗本橋本大炊頭<ref group="注">'''大炊頭'''(おおいのかみ)は従五位下相当</ref>の次男<ref name="wagaya">[http://41073589.at.webry.info/201204/article_2.html 我が家の歴史 伊藤晴雨について]</ref>。 | 旗本橋本大炊頭<ref group="注">'''大炊頭'''(おおいのかみ)は従五位下相当</ref>の次男<ref name="wagaya">[http://41073589.at.webry.info/201204/article_2.html 我が家の歴史 伊藤晴雨について]</ref>。 | ||
1870年前後、維新の際に屋敷を追われ、相次いで父母兄を失う<ref name="wagaya"></ref>。 | |||
士族としての生活が送れず縁故を頼り彫金師の'''尾崎一美'''<ref group="注">'''堀辰雄'''の父親も彫金師で'''尾崎一美'''の弟子であった。祖父で寺侍であった松吉武二郎が維新後に、長男虎間太郎(堀辰雄の伯父)を「当時江戸派の彫金師として羽振りの良かった'''尾崎一美'''に入門せしめた」「弟が三人あって・・それぞれ戸を構えて彫刻を業と・・一番下の弟が・・私の父」とある('''堀辰雄'''「花を持てる女」)(</ref>に弟子入り<ref name="wagaya"></ref>。 | 士族としての生活が送れず縁故を頼り彫金師の'''尾崎一美'''<ref group="注">'''堀辰雄'''の父親も彫金師で'''尾崎一美'''の弟子であった。祖父で寺侍であった松吉武二郎が維新後に、長男虎間太郎(堀辰雄の伯父)を「当時江戸派の彫金師として羽振りの良かった'''尾崎一美'''に入門せしめた」「弟が三人あって・・それぞれ戸を構えて彫刻を業と・・一番下の弟が・・私の父」とある('''堀辰雄'''「花を持てる女」)(</ref>に弟子入り<ref name="wagaya"></ref>。 |