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==主な作品==
==主な作品==
*[[中康弘通]]『'''宇能鴻一郎作品試論'''』[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)4月創刊号, p11
*[[中康弘通]]『'''宇能鴻一郎作品試論'''』[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)4月創刊号, p11
*[[濡木痴夢男|円城寺達]]「'''糠六閻魔帖'''」[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)創刊号~9月号(連作短編)【注1】
*[[須磨利之|円城寺達]]「'''糠六閻魔帖'''」[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)創刊号~9月号(連作短編)【注1】
*小宮卓「'''異色小説ぱとろーる'''」[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)創刊号から9月号(読物記事)
*小宮卓「'''異色小説ぱとろーる'''」[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)創刊号から9月号(読物記事)
*[[島本春雄]]「'''紅蜘蛛伝奇'''」[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)創刊号~9月号(中絶。後に他所で加筆・完結させた)
*[[島本春雄]]「'''紅蜘蛛伝奇'''」[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)創刊号~9月号(中絶。後に他所で加筆・完結させた)

2013年6月9日 (日) 09:08時点における版

あぶめんと

あぶめんと

概要

久保書店を退社した濡木痴夢男須磨利之虻プロから1970年(昭和45年)に6冊だけ出した雑誌。

別名

ABMENT

発行年・出版社

1970年(昭和45年)4月創刊。虻プロ、ヤオキ出版社

発行人・編集人

発行人:水野二郎(創刊号~終刊号まで)

編集人:飯田豊一(同上)


主な出来事

1970年(昭和45年)4月、『サスペンスマガジン』一時休刊[注 1]を機に久保書店を退社した濡木痴夢男須磨利之虻プロを立ち上げあぶめんとを4月創刊。社長は須磨利之[1]

1970年(昭和45年)9月、休刊。

主な作品

  • 中康弘通宇能鴻一郎作品試論あぶめんと1970年(昭和45年)4月創刊号, p11
  • 円城寺達糠六閻魔帖あぶめんと1970年(昭和45年)創刊号~9月号(連作短編)【注1】
  • 小宮卓「異色小説ぱとろーるあぶめんと1970年(昭和45年)創刊号から9月号(読物記事)
  • 島本春雄紅蜘蛛伝奇あぶめんと1970年(昭和45年)創刊号~9月号(中絶。後に他所で加筆・完結させた)
  • 円城寺達羅生門の女』1970年(昭和45年)創刊号
  • 岩崎旭鷹と狼あぶめんと1970年(昭和45年)創刊号~9月号(中絶。単行本化の際に加筆・完結させた)
  • 北里英也「奴隷狩りあぶめんと1970年(昭和45年)5月号~9月号(中絶)
  • 芦原修二「華やかに墓標をあぶめんと1970年(昭和45年)5月号~9月号(中絶)
  • 白鳥大蔵野ざらし勘平極道帖あぶめんと1970年(昭和45年)8月号~9月号【注2】
  • 藤見郁地獄の逃亡者あぶめんと1970年(昭和45年)8月号~9月号(中絶)

エピソード

  • 表紙の写真は吉田久
  • 秋吉巒沖渉二などが絵を描く。
  • ロサンゼルス在住の日系アメリカ人から「内容は非常にユニークで、おもしろく、いつまでも離すことができない」というファンレターが須磨の手許に届けられた。同時に挿絵のオールカラー化を期待する要望も書かれており、須磨は困惑したと言う[注 2]
  • 突然の雑誌廃刊により、9月号までに完結しなかった連載作品は全て中絶している。

引用文献

  1. 中原るつ『濡木痴夢男ののう1つの顔』 濡木痴夢男『緊縛★命あるかぎり』(河出書房新社, 2008)のあとがき。

注釈

  1. 1969年(昭和44年)5月に休刊し、1972年(昭和47年)1月に復刊している。
  2. あぶめんと』1970年(昭和45年)9月号の「編集後記」より。

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