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1959年(昭和34年)10月16日、[[熱海城]]の開場式。泉山三六元大蔵大臣が出席。一般開場は18日<ref name="zaikai1959_10">『'''熱海城の”開場式” まだ未完成のままだが'''』財界 1959年(昭和34年)11月15日, p46</ref>。
1959年(昭和34年)10月16日、[[熱海城]]の開場式。泉山三六元大蔵大臣が出席。一般開場は18日<ref name="zaikai1959_10">『'''熱海城の”開場式” まだ未完成のままだが'''』財界 1959年(昭和34年)11月15日, p46</ref>。


1964年(昭和39年)、[[熱海城]]建設の融資会社、日興不動産が返済を迫って競売の申し立てをおこなう<ref name="shincho1964"></ref>。
1964年(昭和39年)、[[熱海城]]建設の融資会社、日興不動産が返済を迫って競売の申し立てをおこなう<ref name="shincho1964"></ref>。


==エピソード==
==エピソード==

2011年10月9日 (日) 10:52時点における最新版

みうら みとし、1910年(明治43年)8月24日-

概要

仕掛人。熱海城の建設者。SMとは直接関係ない。

別名

略歴

1910年(明治43年)8月24日、栃木県塩谷郡氏家町に生まれる[1]

1931年(昭和6年)、東亜同文書院卒業。

神田のラシャ問屋「神浦産業」、熱海と立川に「幸楽園」ホテル建設、栃木県にキャバレー「宇都宮会館」建設。

1950年(昭和25年)、小林一三より熱海錦ヶ浦付近の土地一万坪を購入し、バンガローを建設。市議会の反対に遭い、一部を取り壊し[1]

1951年(昭和26年)、呉服販売業「東京百貨」を経営。28軒の呉服問屋から1370万円の取り込み詐欺を起こす[2]

1959年(昭和34年)10月8日、熱海城の開場の前夜祭を大手町のサンケイホールで開催[注 1][1]

1959年(昭和34年)10月16日、熱海城の開場式。泉山三六元大蔵大臣が出席。一般開場は18日[3]

1964年(昭和39年)、熱海城建設の融資会社、日興不動産が返済を迫って競売の申し立てをおこなう[2]

エピソード

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 『湯に町に賭けた或る商魂 ”熱海城”の天守閣』週刊サンケイ 1959年(昭和34年)10月4日号, p26-p29
  2. 2.0 2.1 熱海城危うし 一ケタ違ったお客の数』週刊新潮 1964年(昭和39年)10月5日号, p27
  3. 熱海城の”開場式” まだ未完成のままだが』財界 1959年(昭和34年)11月15日, p46

注釈

  1. 三浦美淑が育てたコロンビア歌手の大坪熱子が歌を披露。

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