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'''なわ ゆみお''' 1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日
'''なわ ゆみお''' 1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日




==活動内容==
==概要==
武道家(正木流宗家)、時代考証家。捕縄術研究家。
武道家。時代考証家。捕縄術研究家。『'''正木流宗家'''』の武道家として広く知られると同時に、時代考証家、拷問刑罰研究家としての仕事も多く残し、1962年(昭和36年)には[[裏窓]]に拷問・刑罰の連載を発表している。本人にSMの趣味があったという記録はないが、日本最初のSM映画とも指摘されている『'''日本拷問刑罰史'''』([[新東宝]], 1964)には積極的関与しており、同映画の刑罰シーンはSMマニアの間で話題となった。『'''日本拷問刑罰史'''』のヒットに続いて、多くの『刑罰』映画が製作されている。
 
==別名==
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Yumio_Nawa Yumio Nawa]
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Yumio_Nawa Yumio Nawa]


==略歴==
==略歴==
1962年(昭和36年)、[[裏窓]]2月号から4月号まで『日本拷問史』を連載。5月号には『西洋拷問史』。6月号からは『日本刑罰史』を12月まで連載。
1962年(昭和36年)、[[裏窓]]2月号から4月号まで『'''日本拷問史'''』を連載。5月号には『'''西洋拷問史'''』。6月号からは『'''日本刑罰史'''』を12月まで連載。


1962年(昭和37年)、雄山閣より『拷問刑罰史』を出版。
1962年(昭和37年)、雄山閣より『拷問刑罰史』を出版。


1964年(昭和39年)、[[小森白]]監督の[[『日本拷問刑罰史』]](新東宝)の製作に関与。製作=小森白プロダクション、配給=新東宝映画。
1964年(昭和39年)、[[小森白]]監督の[[『日本拷問刑罰史』]]([[新東宝]])の製作に関与。製作=小森白プロダクション、配給=新東宝映画。


1965年(昭和40年)、[[裏窓]]1月号に『「日本拷問刑罰史」撮影裏話』
1965年(昭和40年)、[[裏窓]]1月号に『「日本拷問刑罰史」撮影裏話』
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==エピソード==
==エピソード==
*最初のSM映画とも指摘されている[http://metabiosis.blog53.fc2.com/blog-entry-1.html『日本拷問刑罰史』]で緊縛指導。
*最初のSM映画とも指摘されている[http://metabiosis.blog53.fc2.com/blog-entry-1.html『'''日本拷問刑罰史'''』]で緊縛指導。
*『日本拷問刑罰史』は、制作費の10倍の6千万円の配収入を得た<ref>『日本セクシー映画全集 第2集』(新風出版社, 1966)</ref>。
*『日本拷問刑罰史』は、制作費の10倍の6千万円の配収入を得た<ref>『日本セクシー映画全集 第2集』(新風出版社, 1966)</ref>。
*[http://www.meiji.ac.jp/museum/criminal/keiji.html 明治大学刑事博物館]にコレクションを展示。
*[http://www.meiji.ac.jp/museum/criminal/keiji.html 明治大学刑事博物館]にコレクションを展示。

2011年9月7日 (水) 11:56時点における版

名和弓雄 (1912-2006 )

なわ ゆみお 1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日


概要

武道家。時代考証家。捕縄術研究家。『正木流宗家』の武道家として広く知られると同時に、時代考証家、拷問刑罰研究家としての仕事も多く残し、1962年(昭和36年)には裏窓に拷問・刑罰の連載を発表している。本人にSMの趣味があったという記録はないが、日本最初のSM映画とも指摘されている『日本拷問刑罰史』(新東宝, 1964)には積極的関与しており、同映画の刑罰シーンはSMマニアの間で話題となった。『日本拷問刑罰史』のヒットに続いて、多くの『刑罰』映画が製作されている。

別名

Yumio Nawa

略歴

1962年(昭和36年)、裏窓2月号から4月号まで『日本拷問史』を連載。5月号には『西洋拷問史』。6月号からは『日本刑罰史』を12月まで連載。

1962年(昭和37年)、雄山閣より『拷問刑罰史』を出版。

1964年(昭和39年)、小森白監督の『日本拷問刑罰史』新東宝)の製作に関与。製作=小森白プロダクション、配給=新東宝映画。

1965年(昭和40年)、裏窓1月号に『「日本拷問刑罰史」撮影裏話』

1966年(昭和41年)、サスペンスマガジン10月号に『続・日本拷問刑罰史』

エピソード

  • 最初のSM映画とも指摘されている日本拷問刑罰史で緊縛指導。
  • 『日本拷問刑罰史』は、制作費の10倍の6千万円の配収入を得た[1]
  • 明治大学刑事博物館にコレクションを展示。
  • 『落第忍者乱太郎』の作者尼子騒兵衛は名和弓雄の弟子とされている(要確認)。

代表作

『日本拷問刑罰史』に関して

引用資料

  1. 『日本セクシー映画全集 第2集』(新風出版社, 1966)

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