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1917年(大正6年)頃、上京して[[伊藤晴雨]]を訪ねる<ref name="Uramado1961_4"></ref>。 | |||
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2011年10月9日 (日) 11:14時点における版
おおはし げっこう、19??年(昭和??年)-
概要
画家。挿絵画家。美人画、歌舞伎絵を得意とした。伊藤晴雨と関係があった模様。
別名
略歴
1916年(大正5年)、神戸にいた頃『活動写真界』の似顔絵募集で一等賞。選者が伊藤晴雨で、この時が初めての出会い[1]。
1926年(大正15年)。『講談倶楽部』10月増刊号の佐川春風[注 1]『十二時前後[注 2]』の挿絵。
エピソード
- 染織家久保田一竹(1917-2003)が一時師事していた。
代表作
書籍
- 久米正雄『蛍草 冷火』(新潮社, 1928)の挿絵
- 大橋月皎『日本童話』(與文社, 1929)
雑誌
- 講談雑誌1930年(昭和5年)11月号に伊藤晴雨と共に名前が掲載。
- 講談雑誌1931年(昭和6年)4月増大号に伊藤晴雨と共に名前が掲載。
- 『伊藤晴雨画伯を偲んで』裏窓1961年(昭和36年)4月号(座談会:伊藤竹酔+大橋月皎+佐藤倫一郎+東喜代駒+高橋鐵)