「沼正三」の版間の差分

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*[[沼正三]]『'''あるマゾヒストの手帖から'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/02/195.html p200]
*[[沼正三]]『'''あるマゾヒストの手帖から'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/02/195.html p200]
*[[沼正三]]『'''スカタロジーという語について-[[高橋鐵|高橋鉄]]氏に問うー'''』1954年(昭和29年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/03/205.html p210]
*[[沼正三]]『'''スカタロジーという語について-[[高橋鐵|高橋鉄]]氏に問うー'''』1954年(昭和29年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/03/205.html p210]
*[[沼正三]]『'''家畜人ヤプー'''』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)12月号, p124 第1回目〜1958年(昭和33年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195804/01/049.html p52] 第二十三章
*[[沼正三]]『'''[[家畜人ヤプー]]'''』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)12月号, p124 第1回目〜1958年(昭和33年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195804/01/049.html p52] 第二十三章
*[[沼正三]]『'''ある夢想家の手帖から'''』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196101/02/147.html p156]
*[[沼正三]]『'''ある夢想家の手帖から'''』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196101/02/147.html p156]
*[[沼正三]]『'''家畜人ヤプー'''』([[都市出版社]], 1970) 絵:加納光於、解説:奥野健男、金井美恵子
*[[沼正三]]『'''[[家畜人ヤプー]]'''』([[都市出版社]], 1970) 絵:加納光於、解説:奥野健男、金井美恵子
*[[沼正三]]『'''ある夢想家の手帖から'''』([[都市出版社]], 1971)<ref group="注">1974年(昭和49年)に[[ニトリア書房]]から、1998年(平成10年)に[[太田出版]]から再版。</ref>
*[[沼正三]]『'''ある夢想家の手帖から'''』([[都市出版社]], 1971)<ref group="注">1974年(昭和49年)に[[ニトリア書房]]から、1998年(平成10年)に[[太田出版]]から再版。</ref>
*2010年(平成22年)9月1日-6日、[[月蝕歌劇団]]『[[沼正三]]/家畜人ヤプー』(企画:[[康芳夫]]、脚本・演出:高取英、音楽:J・A・シィザー)
*2010年(平成22年)9月1日-6日、[[月蝕歌劇団]]『[[沼正三]]/[[家畜人ヤプー]]』(企画:[[康芳夫]]、脚本・演出:高取英、音楽:J・A・シィザー)


==[[沼正三]]の正体==
==[[沼正三]]の正体==
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==エピソード==
==エピソード==
*[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)5月号に「『家畜人ヤプー』公刊さる」。2月10日に都市出版社から。
*[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)5月号に「『[[家畜人ヤプー]]』公刊さる」。2月10日に都市出版社から。
*「平凡パンチ」1970年(昭和45年)2月23日号に「マゾヒスト、[[沼正三]]を探せ」
*「平凡パンチ」1970年(昭和45年)2月23日号に「マゾヒスト、[[沼正三]]を探せ」
*[[濡木痴夢男]]氏が、『五十数年前、「いそがしいのはだれでも同じですよ。いそがしいなどと言わないで、『黄色オラミ誕生』の連載をおつづけなさい」と、私に忠告してくれたのは沼正三氏(巷間いわれている沼正三ではなく、本物の[[沼正三]]氏)でありました。」と書いている<ref>[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/126/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百二十六回]</ref>。
*[[濡木痴夢男]]氏が、『五十数年前、「いそがしいのはだれでも同じですよ。いそがしいなどと言わないで、『黄色オラミ誕生』の連載をおつづけなさい」と、私に忠告してくれたのは沼正三氏(巷間いわれている沼正三ではなく、本物の[[沼正三]]氏)でありました。」と書いている<ref>[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/126/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百二十六回]</ref>。

2011年6月4日 (土) 13:27時点における版

ぬま しょうぞう、19xx年(昭和xx年)

活動内容

文筆家。奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号からマゾの立場で執筆をしている。1956年(昭和31年)12月号から1958年(昭和33年)4月号まで連載された『家畜人ヤプー』は三島由紀夫を始め、渋沢龍彦、寺山修司らの評価を受け、奇譚クラブにユニークな評価を与える一要因となった。

代表作

沼正三の正体

沼正三の正体については諸説あるが、確実そうな事項は

  • 康芳夫が事実をかなり正確に把握している筈である。
  • 前半と後半で作風が異なる。
  • 後半には天野哲夫が何らかの形で関与していた可能性が高い。
  • 1970年(昭和45年)、風俗奇譚7月臨時増刊号に嵐山光三郎が『小説・沼正三』を書いている。
  • 1981年(昭和56年)、森下高茂が「諸君」(文藝春秋社)で沼正三が東京高裁判事倉田卓次氏だということを暴露。現在ではこれは誤認識とされている。

エピソード

  • 奇譚クラブ1970年(昭和45年)5月号に「『家畜人ヤプー』公刊さる」。2月10日に都市出版社から。
  • 「平凡パンチ」1970年(昭和45年)2月23日号に「マゾヒスト、沼正三を探せ」
  • 濡木痴夢男氏が、『五十数年前、「いそがしいのはだれでも同じですよ。いそがしいなどと言わないで、『黄色オラミ誕生』の連載をおつづけなさい」と、私に忠告してくれたのは沼正三氏(巷間いわれている沼正三ではなく、本物の沼正三氏)でありました。」と書いている[1]

参考資料

注釈

  1. 1974年(昭和49年)にニトリア書房から、1998年(平成10年)に太田出版から再版。

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