「沼正三」の版間の差分
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文筆家。[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号からマゾの立場で執筆をしている。1956年(昭和31年) | 文筆家。[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号からマゾの立場で執筆をしている。1956年(昭和31年)12月号から1958年(昭和33年)4月号まで連載された『[[家畜人ヤプー]]』は三島由紀夫を始め、渋沢龍彦、[[寺山修司]]らの評価を受け、[[奇譚クラブ]]にユニークな評価を与える一要因となった。 | ||
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2011年6月4日 (土) 13:27時点における版
ぬま しょうぞう、19xx年(昭和xx年)
活動内容
文筆家。奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号からマゾの立場で執筆をしている。1956年(昭和31年)12月号から1958年(昭和33年)4月号まで連載された『家畜人ヤプー』は三島由紀夫を始め、渋沢龍彦、寺山修司らの評価を受け、奇譚クラブにユニークな評価を与える一要因となった。
代表作
- 沼正三『ネクタール 神の酒を手に入れる方法』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, p23
- 沼正三『あるマゾヒストの手帖から』奇譚クラブ1953年(昭和28年)6月号, p68より連載開始。
- 沼正三『あるマゾヒストの手帖から(三)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)8月号, p70
- 沼正三『あるマゾヒストの手帖から(四)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号, p92
- 沼正三『あるマゾヒストの手帖から(五)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号, p174
- 沼正三『再びスラックスについて~吾妻新氏に答える~』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号, p70
- 沼正三『あるマゾヒストの手帖から』奇譚クラブ1953年(昭和28年)11月号, p160
- 沼正三『吾妻新氏に最終的に答える』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号, p186
- 沼正三『あるマゾヒストの手帖から』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号, p200
- 沼正三『スカタロジーという語について-高橋鉄氏に問うー』1954年(昭和29年)4月号, p210
- 沼正三『家畜人ヤプー』奇譚クラブ1956年(昭和31年)12月号, p124 第1回目〜1958年(昭和33年)4月号, p52 第二十三章
- 沼正三『ある夢想家の手帖から』奇譚クラブ1961年(昭和36年)1月号, p156
- 沼正三『家畜人ヤプー』(都市出版社, 1970) 絵:加納光於、解説:奥野健男、金井美恵子
- 沼正三『ある夢想家の手帖から』(都市出版社, 1971)[注 1]
- 2010年(平成22年)9月1日-6日、月蝕歌劇団『沼正三/家畜人ヤプー』(企画:康芳夫、脚本・演出:高取英、音楽:J・A・シィザー)
沼正三の正体
沼正三の正体については諸説あるが、確実そうな事項は
- 康芳夫が事実をかなり正確に把握している筈である。
- 前半と後半で作風が異なる。
- 後半には天野哲夫が何らかの形で関与していた可能性が高い。
- 1970年(昭和45年)、風俗奇譚7月臨時増刊号に嵐山光三郎が『小説・沼正三』を書いている。
- 1981年(昭和56年)、森下高茂が「諸君」(文藝春秋社)で沼正三が東京高裁判事倉田卓次氏だということを暴露。現在ではこれは誤認識とされている。
エピソード
- 奇譚クラブ1970年(昭和45年)5月号に「『家畜人ヤプー』公刊さる」。2月10日に都市出版社から。
- 「平凡パンチ」1970年(昭和45年)2月23日号に「マゾヒスト、沼正三を探せ」
- 濡木痴夢男氏が、『五十数年前、「いそがしいのはだれでも同じですよ。いそがしいなどと言わないで、『黄色オラミ誕生』の連載をおつづけなさい」と、私に忠告してくれたのは沼正三氏(巷間いわれている沼正三ではなく、本物の沼正三氏)でありました。」と書いている[1]。