「SMという言葉の誕生」の版間の差分

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==概説==
==概説==
「SM」の「S」がサディズムを「M」がマゾヒズムの頭文字に相当し、それぞれ、18世紀のマルキ・ド・サド、19世紀のマゾッホ、という古い人名に由来していが、「SM」という言葉が一般に使われ出したのは意外と新しく、おおざっぱには1970年代初めからと考えてよい。「SM」が定着する前には「MS」「SMF」なども使われていた。
「ルキ・ド・サド」「マゾッホ」に由来して「サディズム」「マゾヒスム」という言葉を創案したのはドイツの精神医学者クラフト=エビングで1886年(明治19年)のことである。その後まもなく日本でも紹介されたが、本格的に注目されるのが、1913年(大正2年)にクラフト=エビングの『変態性慾心理』が翻訳出版された時である。ただし、「変態」「異常」「アブ」としてSM行為が紹介されるものの「SM」という言葉はこの時点では誕生していない。戦後も「責め絵」「縛り」などが
 
いが、「SM」という言葉が一般に使われ出したのは意外と新しく、おおざっぱには1970年代初めからと考えてよい。「SM」が定着する前には「MS」「SMF」なども使われていた。
 
==歴史==
==歴史==
1740年(江戸時代)、マルキ・ド・サド、パリに誕生。1785年、獄中で『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を発表。1814年没。
1740年(江戸時代)、マルキ・ド・サド、パリに誕生。1785年、獄中で『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を発表。1814年没。

2010年11月14日 (日) 23:01時点における版

概説

「ルキ・ド・サド」「マゾッホ」に由来して「サディズム」「マゾヒスム」という言葉を創案したのはドイツの精神医学者クラフト=エビングで1886年(明治19年)のことである。その後まもなく日本でも紹介されたが、本格的に注目されるのが、1913年(大正2年)にクラフト=エビングの『変態性慾心理』が翻訳出版された時である。ただし、「変態」「異常」「アブ」としてSM行為が紹介されるものの「SM」という言葉はこの時点では誕生していない。戦後も「責め絵」「縛り」などが

いが、「SM」という言葉が一般に使われ出したのは意外と新しく、おおざっぱには1970年代初めからと考えてよい。「SM」が定着する前には「MS」「SMF」なども使われていた。

歴史

1740年(江戸時代)、マルキ・ド・サド、パリに誕生。1785年、獄中で『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を発表。1814年没。

1836年(江戸時代)、レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ、オーストラリアに誕生。1871年に小説『毛皮を着たヴィーナス』を発表。1895年没。

1886年(明治19年)、ドイツの精神医学者クラフト=エビング(1840-1902)が『性的精神病理』の中で「サディズム」「マゾヒズム」を創案。

1894年(明治27年)、クラフト=エビングの『色情狂編』(日本法医学会/春陽堂)が発禁処分。

1913年(大正2年)、『性的精神病理』が『変態性慾心理』として出版されブームとなる[注 1]

1952年(昭和27年)、奇譚クラブ8月号に岡田咲『責めの小説 MとS』

1953年(昭和28年)夏、山岸康二が毎夕新聞に『MS倶楽部会員モデル募集 芸苑社』の2行広告を出す[注 2]

1953年(昭和28年)、奇譚クラブ12月号に嶽収一『MSバンド』

1954年(昭和29年)、奇譚クラブ5月号に中谷冷一『MS・プレイ』

1961年(昭和36年)、裏窓8月号に『師弟関係のSM』、風俗奇譚9月号に一ノ瀬悦子『狂熱のSM交響楽』、10月号に谷貫太『欧米MSの家めぐり』

1965年(昭和40年)2月、裏窓の改題誌として創刊されたサスペンスマガジンの表紙デザインが「SM」を暗示。

サスペンスマガジン 1965年(昭和40年)創刊号

1968年(昭和43年) 9月、サスペンスミステリーマガジン創刊。

1970年(昭和45年)5月、問題SM小説創刊。11月には『実話雑誌』11月増刊号としてSMセレクトが発売。

引用文献

注釈

  1. 「変態」の俗語が生まれたのはこの頃
  2. 山岸康二によると「実際に載ってみると、MSでは何となく文字のすわりが悪いので、1ケ月くらい経ってからSMに変えた。」とある。

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