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*[[斎藤昌三]]のコレクションが保存されていた<ref>[[城市郎]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582944558?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4582944558 '''城市郎の発禁本人生''']』別冊太陽 (2003, 平凡社)</ref> | *[[斎藤昌三]]のコレクションが保存されていた<ref>[[城市郎]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582944558?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4582944558 '''城市郎の発禁本人生''']』別冊太陽 (2003, 平凡社)</ref> | ||
* | *「[[黄庵]]」=「イェロー庵」=「エロ庵」 | ||
*「[[黄庵]]」は当時の[[光鶴園]]の社長の俳号<ref>http://atelier246.livedoor.blog/archives/52019953.html</ref> | |||
*[[S・Xミステリー]]1972年(昭和47年)12月号の『'''DISCOVER PINK'''』で鶴巻のスポットとして紹介されている。 | *[[S・Xミステリー]]1972年(昭和47年)12月号の『'''DISCOVER PINK'''』で鶴巻のスポットとして紹介されている。 | ||
*[[林美一]]『'''古典性学考証家としての[[高橋鐵]]'''』 in [[EROTICA]]1972年臨時増刊号の中で、[[高橋鐵]]と[[黄庵]]で面会したとある。 | *[[林美一]]『'''古典性学考証家としての[[高橋鐵]]'''』 in [[EROTICA]]1972年臨時増刊号の中で、[[高橋鐵]]と[[黄庵]]で面会したとある。 | ||
*[[SMキング]]1973年(昭和48年)10月号の[[楡研二]]『'''大東京羞恥図''' | *[[SMキング]]1973年(昭和48年)10月号の[[楡研二]]『'''大東京羞恥図'''』に旅館「[[光鶴園]]」の陳列館としてルポがある。 | ||
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2024年4月21日 (日) 18:48時点における最新版
黄庵(こうあん)とは、1953年(昭和28年)10月に神奈川県秦野市鶴巻に開設された「秘宝館」。風俗科斈1954年(昭和29年)2月号に紹介されている。
概要
1953年(昭和38年)10月に神奈川県秦野市鶴巻に斎藤昌三と武野藤介により開設された、今で言うところの「秘宝館」。風俗科斈1954年(昭和29年)2月号と3月号[1]に紹介されている。
別名
エロ庵、今昔民族研究所[注 1]
所在地
神奈川県秦野市鶴巻
歴史
1953年(昭和28年)10月、斎藤昌三と武野藤介が神奈川県秦野市鶴巻に風俗博物館のような『黄庵』を開設[注 1]。
1953年(昭和28年)、光鶴園の敷地内に黄庵が開設。「今昔民俗研究所」「性風俗博物館」などと呼ばれる[2]
エピソード
- 斎藤昌三のコレクションが保存されていた[3]
- 「黄庵」=「イェロー庵」=「エロ庵」
- 「黄庵」は当時の光鶴園の社長の俳号[4]
- S・Xミステリー1972年(昭和47年)12月号の『DISCOVER PINK』で鶴巻のスポットとして紹介されている。
- 林美一『古典性学考証家としての高橋鐵』 in EROTICA1972年臨時増刊号の中で、高橋鐵と黄庵で面会したとある。
- SMキング1973年(昭和48年)10月号の楡研二『大東京羞恥図』に旅館「光鶴園」の陳列館としてルポがある。
引用文献
- ↑ 「失禮御免 當代『風俗賣文家』ブラック・リスト」風俗科斈1954年(昭和29年)3月20日
- ↑ https://kokontouzai.jp/archives/59058
- ↑ 城市郎『城市郎の発禁本人生』別冊太陽 (2003, 平凡社)
- ↑ http://atelier246.livedoor.blog/archives/52019953.html