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'''まぞっほ、あそう たもつ、やしろ あきお'''、1929年(昭和4年)-1976年(昭和51年) | |||
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*[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)3月号の「読者通信」が初の[[奇譚クラブ]]への投稿と思われる。「小生は、ここ数年間外地に居り最近、帰国した者です」は、フランス留学を指すと思われる。「帰国直後偶然に古本屋にて奇クを見つけ目下バックナンバーを揃えるのに苦心して居ります。現在まで約三十冊ばかり揃える事が出来ました。小生の最も愛読するのは、二十九年一月、五月に戴った[[乗杉貴代子]]さんの「ダイアナ夫人」で、これこそ全く小生の永年胸に抱いていた女性像です。「ダイアナ夫人」の未亡人の巻は、今迄掲載されていない様ですが、如何がしたのでしようか。今からでも是非載せて下さる様御願いいたします。(ダイアナ夫人とその夫、山田大典氏との関係? )余りはっきりして居りませんね。夫人は大典氏に関する限りは案外従順で貞淑な奥さんだったのではないかと、一寸不満(? )でもあります。尚乗杉さんと文通いたしたく思いますが可能でしようか。勿論、[[沼正三]]氏の手帖や、ヤプーも愛読して居りますし、[[濡木痴夢男|真木氏]]の「オラミ」も大好きなものの一つです。同氏の旧作も愛読して居ります。[[森下高茂|森本氏]]の貴重な労作の「残慮なる女性達」を単行本で出せないものでしょうか。ーヘーゲマンやカムの絵もいれてー[[森下高茂|天泥氏]]の二十八年十一月号に載せられた手記は、短いながら優れたものと思います。馬場氏は、三十一年四月号以後ちょっともお目にかかりませんが、非常に歿念です。鷹野めぐみ様、大いに期待して居ります。乗馬をなさる由ですが、どうかダイアナ夫人に負けない様に上達なさって下さい。映画等の時評は「緊縛もの」のみ巾をきかせ少し憤慨です。原氏、春木氏、更に九雅氏の御活躍に期待します。又、大谷氏,の「なめくじ」を愛読しました。以上くどくどと述べましたが、どうかお許し下さい。(東京 [[麻生保]])」 | |||
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まぞっほ、あそう たもつ、やしろ あきお、1929年(昭和4年)-1976年(昭和51年)
概要
戦後に活躍した日本の作曲家の早い世代に属する矢代秋雄の変名[1]。1956年(昭和31年)の奇譚クラブ3月号「読者通信」への寄稿から始まり、森下高茂などと親交を深め、奇譚クラブ、風俗奇譚などに時評などのエッセイ発表。
別名
麻生保 矢代秋雄
略歴
1929年(昭和4年)9月10日、美術評論家矢代幸雄の長男とし東京に生まれる[2]。
1945年(昭和20年)、16歳で東京音楽学校作曲科に入学。黛敏郎と同期[2]。
1951年(昭和26年)、フランス政府給費留学生として黛敏郎らと共にパリ国立高等音楽院に入学[2]。
1956年(昭和31年)8月、帰国[2]。
1956年(昭和31年)3月、奇譚クラブ3月号に「読者通信」に寄稿文。
1974年(昭和49年)、東京藝術大学教授[2]。
1976年(昭和51年)4月9日、永眠[2]。
エピソード
- 奇譚クラブ1956年(昭和31年)3月号の「読者通信」が初の奇譚クラブへの投稿と思われる。「小生は、ここ数年間外地に居り最近、帰国した者です」は、フランス留学を指すと思われる。「帰国直後偶然に古本屋にて奇クを見つけ目下バックナンバーを揃えるのに苦心して居ります。現在まで約三十冊ばかり揃える事が出来ました。小生の最も愛読するのは、二十九年一月、五月に戴った乗杉貴代子さんの「ダイアナ夫人」で、これこそ全く小生の永年胸に抱いていた女性像です。「ダイアナ夫人」の未亡人の巻は、今迄掲載されていない様ですが、如何がしたのでしようか。今からでも是非載せて下さる様御願いいたします。(ダイアナ夫人とその夫、山田大典氏との関係? )余りはっきりして居りませんね。夫人は大典氏に関する限りは案外従順で貞淑な奥さんだったのではないかと、一寸不満(? )でもあります。尚乗杉さんと文通いたしたく思いますが可能でしようか。勿論、沼正三氏の手帖や、ヤプーも愛読して居りますし、真木氏の「オラミ」も大好きなものの一つです。同氏の旧作も愛読して居ります。森本氏の貴重な労作の「残慮なる女性達」を単行本で出せないものでしょうか。ーヘーゲマンやカムの絵もいれてー天泥氏の二十八年十一月号に載せられた手記は、短いながら優れたものと思います。馬場氏は、三十一年四月号以後ちょっともお目にかかりませんが、非常に歿念です。鷹野めぐみ様、大いに期待して居ります。乗馬をなさる由ですが、どうかダイアナ夫人に負けない様に上達なさって下さい。映画等の時評は「緊縛もの」のみ巾をきかせ少し憤慨です。原氏、春木氏、更に九雅氏の御活躍に期待します。又、大谷氏,の「なめくじ」を愛読しました。以上くどくどと述べましたが、どうかお許し下さい。(東京 麻生保)」
- 書かれた文からは「乗馬」に対する強い嗜好が伺える。
代表作
奇譚クラブ 1957年3,4,6、7月号
引用文献
注釈