「立花冷子」の版間の差分

提供:SMpedia
編集の要約なし
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
4行目: 4行目:
[[画像:Reiko_tachibana.jpg|150px|thumbnail|[[立花冷子]]]]
[[画像:Reiko_tachibana.jpg|150px|thumbnail|[[立花冷子]]]]
[[画像:Reiko_tachibana2.jpg|150px|thumbnail|[[立花冷子]]]]
[[画像:Reiko_tachibana2.jpg|150px|thumbnail|[[立花冷子]]]]
[[画像:Reiko_tachibana6.jpg|150px|thumbnail|[[ビーナス]](BN-5)での『'''女が女を責める時'''』(出演:[[立花玲子]]、[[藤さとみ]])の紹介記事。]]


'''たちばな れいこ'''、1943年(昭和18年)頃<ref group="注">2chの書き込みから</ref>-。または、 1951年(昭和26年)頃<ref group="注">[[videoプレス]]1982年(昭和57年)8月号の[[美芸会]]の記事に31歳とあるのから逆算。</ref> - 。
'''たちばな れいこ'''、1943年(昭和18年)頃<ref group="注">2chの書き込みから</ref>-。または、 1951年(昭和26年)頃<ref group="注">[[videoプレス]]1982年(昭和57年)8月号の[[美芸会]]の記事に31歳とあるのから逆算。</ref> - 。
44行目: 45行目:
*『'''女王様・[[立花冷子]]のスレイブ・ハンター'''』[[別冊S&Mスナイパー]]1982年(昭和57年)9月号
*『'''女王様・[[立花冷子]]のスレイブ・ハンター'''』[[別冊S&Mスナイパー]]1982年(昭和57年)9月号
*『'''藤サトミ&立花冷子 女が女を責める!'''』[[別冊SMファン]]1983年(昭和58年)5月号
*『'''藤サトミ&立花冷子 女が女を責める!'''』[[別冊SMファン]]1983年(昭和58年)5月号
*[[相沢浩平]]『'''SMビデオ特選PART-4 女が女を責める時'''』[[ビーナス]]1980年代
*[[相沢浩平]]『'''SMビデオ特選PART-4 女が女を責める時'''』[[ビーナス]](BN-5, 1980年代前半)


== 引用文献==
== 引用文献==

2023年12月8日 (金) 07:54時点における最新版

立花冷子 in SMファンタジア1975年(昭和50年)6月号
立花冷子 in SMファン1979年(昭和54年)11月増刊号『SMプレイ情報
立花冷子 in videoプレス1982年(昭和57年)8月号
立花冷子
立花冷子
ビーナス(BN-5)での『女が女を責める時』(出演:立花玲子藤さとみ)の紹介記事。

たちばな れいこ、1943年(昭和18年)頃[注 1]-。または、 1951年(昭和26年)頃[注 2] - 。 大阪から清水市に移ったSMサークル「美芸会」において、1970年代後半から看板女王として活躍。1980年頃には東京に進出して女王様ビデオ作製。

概要

女王様。松田富治男が1966年(昭和41年)9月に大阪で設立した美芸会は、1971年(昭和46年)に静岡県清水市に移る。ここらあたりから、立花玲子が女王様として中核メンバーとなる。その後、1980年頃に東京に進出し、女王様ビデオの制作を始める。女王様サークル、女王様ビデオ共に、それらの極めて初期の活動である。

別名

立花玲子立花冷子立花令子

略歴

1970年代後半、松田富治男が1966年(昭和41年)に大坂で設立した美芸会が静岡県清水市に移り、この頃には立花冷子が看板女王となる。

1975年(昭和50年)6月、SMファンタジア6月号に立花冷子立花冷子調教日誌より』連載開始。

1979年(昭和54年)、SMファン11月増刊号『SMプレイ情報』に「SMの女王 立花冷子」の特集記事。

1980年(昭和55年)頃、美芸会は東京に進出。ビデオ制作を始める。

1980年(昭和55年)5月、SMフェニックス5月創刊号から調教手記を連載。

1982年(昭和57年)、別冊S&Mスナイパー1982年(昭和57年)4月号に「立花冷子V.T.R.ついに登場」「第1弾S女シリーズ 立花冷子調教日誌より 奴隷の契り」の広告。連絡先は美芸会放映事業部(豊島区)となっている。同広告には「レスビアン特別分譲写真」の案内が「立花プロモート」(新宿区西新宿7-14-2)から。

エピソード

  • 引退前、大塚で個人営業していた時期があった。[注 3]
  • ビデオ『師匠はサド(美芸会, 1984頃)の紹介記事に「実際に立花玲子は茶道と華道の師範である」との記述。

代表作

ビデオ

記事

  • 女王・立花冷子の華麗なる生活SMファンタジア1975年(昭和50年)7月号
  • M志望の若い男性(最終回)SMファンタジア1975年(昭和50年)9月終刊号
  • 女王・立花冷子の凄艶なまなざし、異端の性~立花冷子(美芸会)のM奴隷調教日記』JOY magazine1976年(昭和51年)12月号
  • 立花冷子調教日誌4 オス豚調教 その3SMフェニックス1980年(昭和55年)8月号
  • 立花冷子調教日誌5 番外篇 女王讃歌SMフェニックス1980年(昭和55年)9月号
  • Sの女王立花冷子調教日誌8 若鮎調教メモ3SMフェニックス1980年(昭和55年)12月号
  • Sの女王 立花冷子調教日誌11SMフェニックス1981年(昭和56年)3月号
  • 女王様・立花冷子のスレイブ・ハンター別冊S&Mスナイパー1982年(昭和57年)9月号
  • 藤サトミ&立花冷子 女が女を責める!別冊SMファン1983年(昭和58年)5月号
  • 相沢浩平SMビデオ特選PART-4 女が女を責める時ビーナス(BN-5, 1980年代前半)

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 videoプレス1982年(昭和57年)8月号の美芸会の記事に紹介されている。

注釈

  1. 2chの書き込みから
  2. videoプレス1982年(昭和57年)8月号の美芸会の記事に31歳とあるのから逆算。
  3. 2chの書き込み「伝説の立花冷子女王様」から

お役たちweb

つながり