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'''すえなが なおみ'''、1962年(昭和37年)-
[[画像:桃の木舞2.jpg|250px|thumbnail|『'''加虐万博館'''』[[S&Mスナイパー]]1987年2月号。写真:[[石垣章]]。モデル:[[桃の木舞]]]]
[[画像:桃ノ木舞1.jpg|350px|thumbnail|[[桃ノ木舞]]『'''女王様だってつらいのよ'''』[[S&Mスナイパー]]1989年(平成元年)10月号より]]
 
'''もものき まい'''、'''すえなが なおみ'''、1962年(昭和37年)-


==概要==
==概要==
文筆家。マンガ家。パフォーマー。モデル。1984年(昭和59年)、[[玉井敬友]]の「'''シアタースキャンダル'''」に入団し、『密戯』や『吟遊詩人アルチュール・ランボーを踊る』い出演。その後、[[玉井敬友]]と意見が食い違い対談し、小説家となる。
文筆家。マンガ家。パフォーマー。モデル。1984年(昭和59年)、[[玉井敬友]]の「'''シアタースキャンダル'''」に入団し、『密戯』や『吟遊詩人アルチュール・ランボーを踊る』い出演。その後、[[玉井敬友]]と意見が食い違い対談し、漫画家を経て、1990年代後半に小説家となる。


==別名==
==別名==
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1984年(昭和59年)10月28日−31日、『'''密戯'''』。出演:[[桃ノ木舞]]<ref name="sniper198412"></ref>。
1984年(昭和59年)10月28日−31日、『'''密戯'''』。出演:[[桃ノ木舞]]<ref name="sniper198412"></ref>。
1985年(昭和60年)10月、[[S&Mスナイパー]]1985年(昭和60年)10月号で『'''裸の哲学者 掟破りの銀幕スター [[桃の木舞]]'''』で特集。
1985年(昭和60年)11月、[[S&Mスナイパー]]1985年(昭和60年)11月号から『'''[[桃の木舞]]の今月のSM'''』連載開始。1990年2月号まで。


1986年(昭和61年)、[[小林よしのり]]のアシスタントとなる。1994年まで。
1986年(昭和61年)、[[小林よしのり]]のアシスタントとなる。1994年まで。
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==代表作==
==代表作==
* [[桃の木舞]]『'''[[桃の木舞]]故郷に帰る'''』[[写真時代]]1985年(昭和60年)3月号。撮影:[[青岩有信]]。
* [[桃の木舞]]『'''[[桃の木舞]]の今月のSM'''』[[S&Mスナイパー]]1985年(昭和60年)11月号〜1990年(平成2年)2月号まで。
*『'''加虐万博館'''』[[S&Mスナイパー]]1987年2月号。写真:[[石垣章]]。モデル:[[桃の木舞]]
*『'''加虐万博館'''』[[S&Mスナイパー]]1987年2月号。写真:[[石垣章]]。モデル:[[桃の木舞]]



2020年11月29日 (日) 18:32時点における最新版

加虐万博館S&Mスナイパー1987年2月号。写真:石垣章。モデル:桃の木舞
桃ノ木舞女王様だってつらいのよS&Mスナイパー1989年(平成元年)10月号より

もものき まいすえなが なおみ、1962年(昭和37年)-

概要

文筆家。マンガ家。パフォーマー。モデル。1984年(昭和59年)、玉井敬友の「シアタースキャンダル」に入団し、『密戯』や『吟遊詩人アルチュール・ランボーを踊る』い出演。その後、玉井敬友と意見が食い違い対談し、漫画家を経て、1990年代後半に小説家となる。

別名

末永直海 鈴山キナコ 桃の木舞 桃ノ木舞

略歴

1984年(昭和59年)10月24日−27日、『シアタースキャンダル芸術祭』。出演:桃ノ木舞南ももこ[1]

1984年(昭和59年)10月28日−31日、『密戯』。出演:桃ノ木舞[1]

1985年(昭和60年)10月、S&Mスナイパー1985年(昭和60年)10月号で『裸の哲学者 掟破りの銀幕スター 桃の木舞』で特集。

1985年(昭和60年)11月、S&Mスナイパー1985年(昭和60年)11月号から『桃の木舞の今月のSM』連載開始。1990年2月号まで。

1986年(昭和61年)、小林よしのりのアシスタントとなる。1994年まで。

1989年(平成元年)10月、S&Mスナイパー1989年(平成元年)10月号の特集『コミックの幻想楽園』で作品紹介。

1996年(平成8年)、小説を書き始める。

エピソード

代表作

引用文献

  1. 1.0 1.1 S&Mスナイパー1984年(昭和59年)12月号

注釈


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