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2020年4月5日 (日) 21:26時点における最新版
益田凡児
初代益田凡児
ますだ ぼんじ、
概要
元喜劇役者で、ダイコーミュージック、新宿モダンアートの創始者。
別名
略歴
1928年(昭和3年)、岡山に生まれる[2]。
1963年(昭和38年)、益田凡児がダイコーミュージックをオープン[2]
1967年(昭和42年)、池袋フランス座が閉場した後、「益田凡児と劇団アルファ」で新宿の演芸場に出演[2]。
1967年(昭和42年)、新宿モダンアートが益田凡児(益岡清志)によりアングラ小劇場として設立」[1][3]。
1968年(昭和43年)、日活から公開された『かぶりつき人生』(監督:神代辰巳、原作:田中小実昌、出演:殿岡ハツエ他)に支配人役で出演している。
1969年(昭和44年)、益田凡児発案の『金髪ショー』が大人気[4]。
エピソード
- 青戸ミュージック、昌和ミュージック、浦安ミュージックも経営していた模様[5]
- 「岡山の鉄道につとめていた国鉄マンだったが、芸事が好きで、ちょうど岡山を巡業していた″エンタツ一座″に弟子入り志願したのがきっかけで芸能界に入った。」[1]
- 日本人を金髪に染めて外人したてにした『金髪ショー』の考案者[1]
- コメディアンの同姓同名人(東京演芸協会)は二代目益田凡児。
- 池袋フランス座が閉館した後、新宿の演芸場へ益田凡児と劇団アルファというグループを組んで上がった[2]。
代表作
引用文献
注釈