「松井健二」の版間の差分

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[[画像:matsui.jpg|250px|thumbnail|『'''オール吊りの本'''』([[三和出版]], 1999.5.30)に掲載の[[松井健二]]の緊縛。]]
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'''まつい けんじ'''、1940年代?-2013年(平成25年)6月8日。あまり表にでることのなかった[[責め縄]]を特徴とする緊縛愛好家。いくつかの雑誌に、無記名でその緊縛が掲載されている。[[明智伝鬼]]や[[早川佳克]]と交流。
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'''まつい けんじ'''、1940年(昭和15年)?-2013年(平成25年)6月8日。あまり表にでることのなかった[[責め縄]]を特徴とする緊縛愛好家。いくつかの雑誌に、無記名でその緊縛が掲載されている。[[明智伝鬼]]や[[早川佳克]]と交流。
==概要==
==概要==
表には積極的に出ることのなかったアマチュア緊縛師だが、影響力の強い緊縛師として評価する人も多い。[[責め縄]]が特徴。
表には積極的に出ることのなかったアマチュア緊縛師だが、影響力の強い緊縛師として評価する人も多い。[[責め縄]]が特徴。
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==略歴==
==略歴==
1940年代の生まれと思われる<ref name="SMpedia">[[SMpedia]]独占[[神威十兵衛]]インタビュー by [[U]] on 2013.9.1</ref>。
1940年(昭和15年)頃の生まれと思われる<ref name="SMpedia">[[SMpedia]][[神威十兵衛]]インタビュー by [[U]] on 2013.9.1</ref>。


1990年代、SM雑誌やムックに無記名で緊縛作品を発表。
1990年代、SM雑誌やムックに無記名で緊縛作品を発表。
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*[[神威十兵衛]]は[[松井健二]]から大きな影響を受け、[[神威十兵衛]]が主宰する無門縛の顧問は[[松井健二]]であった。
*[[神威十兵衛]]は[[松井健二]]から大きな影響を受け、[[神威十兵衛]]が主宰する無門縛の顧問は[[松井健二]]であった。
*縛りは、一部のSM雑誌やムック(例えば『'''オール吊りの本'''』)に掲載されているが名前は出ていない<ref name="SMpedia"></ref>。
*縛りは、一部のSM雑誌やムック(例えば『'''オール吊りの本'''』)に掲載されているが名前は出ていない<ref name="SMpedia"></ref>。
*[[神威十兵衛]]は「松井先生に一ヶ月近くテンションの練習をさせられました。一ヶ月むね縄の二本だけをみっちり仕込まれました^^; それ以外は縄に触るな!!と・・・」<ref>[http://mumonbaku.blog85.fc2.com/blog-entry-193.html 後手縛り一の仕上げと閂について]</ref>。


==代表作==
==代表作==
*『'''オール吊りの本'''』([[三和出版]], 1999.5.30)
*『'''オール吊りの本'''』([[三和出版]], 1999.5.30)(編集発行人:[[中島哲朗]])
[[画像:matsui.jpg|150px|thumbnail|『'''オール吊りの本'''』([[三和出版]], 1999.5.30)。[[松井健二]]の緊縛を多数含む。[[真田信幸]]の編集で表紙の吊りは[[真田信幸]]の手による<ref>[[真田信幸]] 私信 to U. 2014</ref>。]]
[[画像:matsui.jpg|150px|thumbnail|『'''オール吊りの本'''』([[三和出版]], 1999.5.30)。[[真田信幸]]の編集で表紙・本編の吊りの多くは[[真田信幸]]の手によるが、一部に[[松井健二]]の緊縛を含む。<ref>[[真田信幸]] 私信 to U. 2014</ref><ref>[[真田信幸]] 私信 to U. 2020</ref>。]]


== 引用文献==
== 引用文献==
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2021年3月3日 (水) 12:21時点における最新版

2011年頃の松井健二神威十兵衛氏提供)
松井健二S&Mスナイパー2003年9月号『の歴史』より。
オール吊りの本』(三和出版, 1999.5.30)に掲載の松井健二の緊縛。

まつい けんじ、1940年(昭和15年)?-2013年(平成25年)6月8日。あまり表にでることのなかった責め縄を特徴とする緊縛愛好家。いくつかの雑誌に、無記名でその緊縛が掲載されている。明智伝鬼早川佳克と交流。

概要

表には積極的に出ることのなかったアマチュア緊縛師だが、影響力の強い緊縛師として評価する人も多い。責め縄が特徴。

別名

Kenji Matsui、MA氏

略歴

1940年(昭和15年)頃の生まれと思われる[1]

1990年代、SM雑誌やムックに無記名で緊縛作品を発表。

2002年(平成14年)秋頃?[注 1]ブラックハートにて緊縛講習会開催。講師は松井健二[1]

2004年(平成16年)7月頃、ブラックハートでの緊縛講習会の講師を明智伝鬼に交代[1]

2013年(平成25年)6月8日、糖尿病で闘病中に永眠[1]

エピソード

  • 明智伝鬼早川佳克との交流が深く、両氏の縛りへの影響も与えたと思われる[1]
  • 神威十兵衛松井健二から大きな影響を受け、神威十兵衛が主宰する無門縛の顧問は松井健二であった。
  • 縛りは、一部のSM雑誌やムック(例えば『オール吊りの本』)に掲載されているが名前は出ていない[1]
  • 神威十兵衛は「松井先生に一ヶ月近くテンションの練習をさせられました。一ヶ月むね縄の二本だけをみっちり仕込まれました^^; それ以外は縄に触るな!!と・・・」[2]

代表作

オール吊りの本』(三和出版, 1999.5.30)。真田信幸の編集で表紙・本編の吊りの多くは真田信幸の手によるが、一部に松井健二の緊縛を含む。[3][4]

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 SMpedia神威十兵衛インタビュー by U on 2013.9.1
  2. 後手縛り一の仕上げと閂について
  3. 真田信幸 私信 to U. 2014
  4. 真田信幸 私信 to U. 2020

注釈

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