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'''なかむら こきょう'''、1881年(明治14年)2月20日-1952年(昭和27年) | [[画像:hentaishinri.jpg|150px|thumbnail|[[變態心理]]1918年(大正7年)第1巻4号]] | ||
'''なかむら こきょう'''、1881年(明治14年)2月20日-1952年(昭和27年)9月12日。精神病理学を対象としたカウンセリング活動の草分け。雑誌『'''[[變態心理]]'''』等で「変態」という語と概念を普及。夏目漱石の門下でもある。 | |||
==概要== | ==概要== | ||
千葉医学校(千葉大学医学部) | 千葉医学校(千葉大学医学部)教授。日本精神医学会を設立。『'''[[變態心理]]'''』を発行。精神病理学を対象としたカウンセリング活動の草分け<ref name="ryouki">[[秋田昌美]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4787230875?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4787230875 '''性の猟奇モダン―日本変態研究往来''']』(青弓社, 1994) </ref>。「変態」という語と概念を普及に貢献<ref name="ryouki"></ref>。 | ||
==別名== | ==別名== | ||
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1881年(明治14年)2月20日、奈良に生まれる。 | 1881年(明治14年)2月20日、奈良に生まれる。 | ||
東京帝大在学中に、朝日新聞に『殻』<ref group="注">自伝的小説。精神病を患った弟をめぐる看護の体験など。</ref>を連載。 | |||
東京帝大文学部心理学科卒業 | 東京帝大文学部心理学科卒業 | ||
東京朝日新聞に入社 | 東京朝日新聞に入社 | ||
1917年(大正6年)、日本精神医学会から雑誌『'''[[變態心理]]'''』創刊。 | |||
1920年代、東京医専(現東京医大)で医学を学び、千葉大学医学部で精神医学を研究 | 1920年代、東京医専(現東京医大)で医学を学び、千葉大学医学部で精神医学を研究 | ||
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1934年(昭和9年)、千葉市千葉寺町の道修山に「中村古峡療養所」を開設。 | 1934年(昭和9年)、千葉市千葉寺町の道修山に「中村古峡療養所」を開設。 | ||
戦後に名古屋医科大学から医学博士授与<ref name="ryouki"></ref>。 | |||
1949年(昭和24年)、「中村古峡療養所」は「中村病院」と改称。 | 1949年(昭和24年)、「中村古峡療養所」は「中村病院」と改称。 | ||
1952年(昭和27年)9月12日、永眠。 | 1952年(昭和27年)9月12日、永眠。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*夏目漱石の門下。 | *夏目漱石の門下。 | ||
==代表作== | ==代表作== | ||
*[[中村古峡]]『'''変態心理の研究'''』(大同館書店, 1919) | |||
*[[中村古峡]]『'''変態性格者雑考'''』([[文藝資料研究会]], 1928) | |||
*[[中村古峡]]『'''変態心理と犯罪'''』([[武俠社]], 1930) | *[[中村古峡]]『'''変態心理と犯罪'''』([[武俠社]], 1930) | ||
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*[http://3rd.geocities.jp/takashi_e_1105/zokushin.mokuroku.shinri.html 雑誌『変態心理』(1917~1926、日本精神医学会編)] | |||
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なかむら こきょう、1881年(明治14年)2月20日-1952年(昭和27年)9月12日。精神病理学を対象としたカウンセリング活動の草分け。雑誌『變態心理』等で「変態」という語と概念を普及。夏目漱石の門下でもある。
概要
千葉医学校(千葉大学医学部)教授。日本精神医学会を設立。『變態心理』を発行。精神病理学を対象としたカウンセリング活動の草分け[1]。「変態」という語と概念を普及に貢献[1]。
別名
english、中村蓊、胆駒古峡
略歴
1881年(明治14年)2月20日、奈良に生まれる。
東京帝大在学中に、朝日新聞に『殻』[注 1]を連載。
東京帝大文学部心理学科卒業
東京朝日新聞に入社
1917年(大正6年)、日本精神医学会から雑誌『變態心理』創刊。
1920年代、東京医専(現東京医大)で医学を学び、千葉大学医学部で精神医学を研究
1929年(昭和4年)、千葉市千葉寺町に数軒の民家を借りて神経症患者の治療を開始。
1934年(昭和9年)、千葉市千葉寺町の道修山に「中村古峡療養所」を開設。
戦後に名古屋医科大学から医学博士授与[1]。
1949年(昭和24年)、「中村古峡療養所」は「中村病院」と改称。
1952年(昭和27年)9月12日、永眠。
エピソード
- 夏目漱石の門下。
代表作
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 1.2 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』(青弓社, 1994)
注釈
- ↑ 自伝的小説。精神病を患った弟をめぐる看護の体験など。