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''風俗科斈''』(ふうぞくかがく)
[[画像:Fuzokukagaku195308.jpg|250px|thumbnail| [[風俗科斈]] 1953年(昭和28年)8月号創刊号の表紙([[月田孝吉]]作)]]
[[画像:Fuzokukagaku.jpg|150px|thumbnail| [[風俗科斈]] 1953年(昭和28年)10月号(第2号)の表紙([[月田孝吉]]作)]]
'''ふうぞくかがく'''。1953年(昭和28年)から2年ほど出版された雑誌。[[上田青柿郎]]の緊縛写真グラビアや分譲写真も。早い時期から同性愛関係の写真や記事。


== 概要 ==
== 概要 ==
「愛と夢を文化人のために」
「愛と夢を文化人のために」のサブタイトルのもと、1953年(昭和28年)から2年ほど出版された雑誌。一時期、[[上田青柿郎]]の緊縛写真がグラビアに登場し、分譲写真も販売されていた。初期には「監修:[[武野藤介]]」とあり、[[あまとりあ]]の流れをくむ雑誌として発行されていた模様。同性愛に力をいれていた模様で、1953年(昭和28年)には「'''風俗科学研究会(FKK)'''」という同性愛者のサークルを組織していた。
 
== 発行年・出版社==
== 発行年・出版社==


1954年(昭和29年)。
1953年(昭和28年)8月20日。[[第三文庫]]<ref group="注">創刊〜1954.2が[[第三文庫]]で1954.8〜1954.10が[[辰巳出版]]。1954.11は[[第三文庫]]とするネットの書き込みもある。</ref>
 
1955年(昭和30年)頃まで続いた模様。


== 発行人・編集人==
== 発行人・編集人==
編集人:西條道夫
発行人:[[西條道夫]]、町田伸工
 
編集人:[[西條道夫]]、町田伸五、手塚正夫
 
監修:[[武野藤介]]


== 主な出来事==
== 主な出来事==
1953年(昭和28年)8月20日、創刊号。[[西條道夫]]が編集・発行人。「[[武野藤介]]先生にお願いして'''特異風俗研究会'''を作る」とある。


1953年(昭和28年)10月15日、第2号。[[西條道夫]]が編集・発行人。表紙に監修:[[武野藤介]]とある。「'''特異風俗研究会'''の規約を近日中に入会希望者に送る」とある。[http://nawa-art.com/etc/195310/02/107.html 有料3行広告]の読者交流欄のようなものを開始。


1954年(昭和29年)2月15日、第2巻第2号。[[西條道夫]]が編集・発行人。緊縛写真がグラビアに。駒木哲郎『サド・マゾの心理解剖 嗜虐に酔える女たち」。[[上田青柿郎]]の分譲写真の案内「[http://nawa-art.com/etc/195402/140.html 耽美派通信]」。


== エピソード==
1954年(昭和29年)3月20日、第2巻第3号。[[西條道夫]]が編集・発行人。緊縛写真がグラビアに。[[上田青柿郎]]の分譲写真の案内。イラストの安田たか子は[[中川彩子]]の作風に似ている。「'''風俗科学研究会'''」(FKK) の広告<ref group="注">連絡先は長野県明科局区内 田沢西三</ref>。表紙:[[月田孝吉]]。枝島善平:ニコヨンの性生活白書」「田島新:女のアプレ風俗商売」「河竹春陽:チョン斬りレポート」「当代風俗売文家ブラックリスト:[[伊藤晴雨]]/岡田甫/[[斎藤昌三]]/[[高橋鐵]]/正岡容/原比露志/他」、
 
1954年(昭和29年)4月20日、第2巻第4号。[[西條道夫]]が編集・発行人。
 
1954年(昭和29年)5月20日、第2巻第5号。町田伸五が編集・発行人。[[上田青柿郎]]の緊縛写真がグラビアに。表紙:[[月田孝吉]]、口絵:安田たか子/島崎あき子。星俊之介:密林の人猟女」「尾崎栄太郎:女護ケ村受難記」「藤原弥吉:番台娘は何を見たか」「青山茂:バタフライ蒐集犯」
 
1954年(昭和29年)6月20日、第2巻第6号。編集人:手塚正夫、発行人:町田伸五。同性愛を取り扱う「'''風俗科学研究会'''」(FKK) のことが書かれている。
 
1954年(昭和29年)9月20日、第2巻第9号。編集人:手塚正夫、発行人:町田伸五。
 
1955年(昭和30年)2月24日、第3巻第2号。編集人:[[西條道夫]]、発行人:町田伸五。


1955年(昭和30年)3月14日、第3巻第3号。編集人:[[西條道夫]]、発行人:町田伸五。


== エピソード==
*1954年頃に[[上田青柿郎]]がいたと[[賀山茂]]がネットに書いている。
*昭和28年の8, 10, 11, 昭和29年6月号は裏表紙にイモリのロゴが。昭和29年1-5月, 9月号、昭和30年の2, 3月号の裏表紙は別のロゴ。また、表紙に「'''第三文庫版'''」とあるのが、他の版の存在を示唆して気になる。
*ホモ記事が多かった。
*太刀川京子の挿絵などはSM画である。


== 脚注==
== 引用文献==
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==注釈==
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==お役立ちweb==
*[http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/20101126/ 三橋順子 続・たそがれ日記]




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風俗科斈 1953年(昭和28年)8月号創刊号の表紙(月田孝吉作)
風俗科斈 1953年(昭和28年)10月号(第2号)の表紙(月田孝吉作)

ふうぞくかがく。1953年(昭和28年)から2年ほど出版された雑誌。上田青柿郎の緊縛写真グラビアや分譲写真も。早い時期から同性愛関係の写真や記事。

概要

「愛と夢を文化人のために」のサブタイトルのもと、1953年(昭和28年)から2年ほど出版された雑誌。一時期、上田青柿郎の緊縛写真がグラビアに登場し、分譲写真も販売されていた。初期には「監修:武野藤介」とあり、あまとりあの流れをくむ雑誌として発行されていた模様。同性愛に力をいれていた模様で、1953年(昭和28年)には「風俗科学研究会(FKK)」という同性愛者のサークルを組織していた。

発行年・出版社

1953年(昭和28年)8月20日。第三文庫[注 1]

1955年(昭和30年)頃まで続いた模様。

発行人・編集人

発行人:西條道夫、町田伸工

編集人:西條道夫、町田伸五、手塚正夫

監修:武野藤介

主な出来事

1953年(昭和28年)8月20日、創刊号。西條道夫が編集・発行人。「武野藤介先生にお願いして特異風俗研究会を作る」とある。

1953年(昭和28年)10月15日、第2号。西條道夫が編集・発行人。表紙に監修:武野藤介とある。「特異風俗研究会の規約を近日中に入会希望者に送る」とある。有料3行広告の読者交流欄のようなものを開始。

1954年(昭和29年)2月15日、第2巻第2号。西條道夫が編集・発行人。緊縛写真がグラビアに。駒木哲郎『サド・マゾの心理解剖 嗜虐に酔える女たち」。上田青柿郎の分譲写真の案内「耽美派通信」。

1954年(昭和29年)3月20日、第2巻第3号。西條道夫が編集・発行人。緊縛写真がグラビアに。上田青柿郎の分譲写真の案内。イラストの安田たか子は中川彩子の作風に似ている。「風俗科学研究会」(FKK) の広告[注 2]。表紙:月田孝吉。枝島善平:ニコヨンの性生活白書」「田島新:女のアプレ風俗商売」「河竹春陽:チョン斬りレポート」「当代風俗売文家ブラックリスト:伊藤晴雨/岡田甫/斎藤昌三高橋鐵/正岡容/原比露志/他」、

1954年(昭和29年)4月20日、第2巻第4号。西條道夫が編集・発行人。

1954年(昭和29年)5月20日、第2巻第5号。町田伸五が編集・発行人。上田青柿郎の緊縛写真がグラビアに。表紙:月田孝吉、口絵:安田たか子/島崎あき子。星俊之介:密林の人猟女」「尾崎栄太郎:女護ケ村受難記」「藤原弥吉:番台娘は何を見たか」「青山茂:バタフライ蒐集犯」

1954年(昭和29年)6月20日、第2巻第6号。編集人:手塚正夫、発行人:町田伸五。同性愛を取り扱う「風俗科学研究会」(FKK) のことが書かれている。

1954年(昭和29年)9月20日、第2巻第9号。編集人:手塚正夫、発行人:町田伸五。

1955年(昭和30年)2月24日、第3巻第2号。編集人:西條道夫、発行人:町田伸五。

1955年(昭和30年)3月14日、第3巻第3号。編集人:西條道夫、発行人:町田伸五。

エピソード

  • 1954年頃に上田青柿郎がいたと賀山茂がネットに書いている。
  • 昭和28年の8, 10, 11, 昭和29年6月号は裏表紙にイモリのロゴが。昭和29年1-5月, 9月号、昭和30年の2, 3月号の裏表紙は別のロゴ。また、表紙に「第三文庫版」とあるのが、他の版の存在を示唆して気になる。
  • ホモ記事が多かった。
  • 太刀川京子の挿絵などはSM画である。

引用文献

注釈

  1. 創刊〜1954.2が第三文庫で1954.8〜1954.10が辰巳出版。1954.11は第三文庫とするネットの書き込みもある。
  2. 連絡先は長野県明科局区内 田沢西三

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