「吉行淳之介」の版間の差分
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'''よしゆき じゅんのすけ'''、1924年(大正13年)4月13日 - 1994年(平成6年)7月26日。芥川賞作家として知られるが編集人としても活躍。[[東京三世社]]の創立メンバー。『[[花と蛇]]』の支持者であった。 | |||
==概要== | ==概要== | ||
小説家としても有名だが、編集人としても活躍。[[東京三世社]]の創立メンバーでもあり、同社で編集人として働いていた。 | 小説家としても有名だが、編集人としても活躍。[[東京三世社]]のルーツである[[三世社]]の創立メンバーでもあり、同社で編集人として働いていた。 | ||
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1946年(昭和21年)、東大を中退して新太陽社に就職。『アンサーズ』の編集長を経て、『[[モダン日本]]』の編集長に<ref group="注">このときアルバイト編集者に[[澁澤龍彦]]がいた(Wikipedia)。</ref>。 | 1946年(昭和21年)、東大を中退して新太陽社に就職。『アンサーズ』の編集長を経て、『[[モダン日本]]』の編集長に<ref group="注">このときアルバイト編集者に[[澁澤龍彦]]がいた(Wikipedia)。</ref>。 | ||
1947年(昭和22年)秋、大学を中退して[[モダン日本]]に就職。『アンサーズ』の編集長を経て、『[[モダン日本]]』の編集長に<ref>[[吉行淳之介]]『'''回想の中の[[カストリ雑誌]]'''』in 「カストリ復刻版」[[(日本出版社]], 1975)</ref> | |||
1953年(昭和28年)、肺結核により会社を退社<ref>Wikipedia</ref>。 | 1951年(昭和26年)、『別冊[[モダン日本]]』<ref group="注">1930年(昭和5年)、[[菊池寛]]によって文藝春秋社から創刊された『[[モダン日本]]』に起源をもつ。2年後にモダン日本社として独立。戦時中は『新太陽』に改名、戦後は新太陽社から復刊。1950年に『別冊[[モダン日本]]』として再生。1951年に廃刊。</ref>を作っていた[[牧野英二]]が[[吉行淳之介]]、津久井柾章(名和青朗・名和左膳)と共に[[三世社]]を創立。『[[読切倶楽部]]』を創刊<ref>Wikipedia</ref>。 | ||
1953年(昭和28年)、肺結核により会社を退社<ref>Wikipedia</ref><ref group="注">このWikipediaの「会社」がモダン日本社を指すのか、[[三世社]]を指すのか不明。[[永江朗]]『'''アダルト系出版社のルーツを探せ!'''』in 別冊宝島「性メディアの50年」(宝島社, 1995)には芥川賞を取った後に[[三世社]]を辞めたと書いてある。</ref>。 | |||
1954年(昭和29年)、『驟雨』で第31回芥川賞を受賞。 | 1954年(昭和29年)、『驟雨』で第31回芥川賞を受賞。 | ||
1994年(平成6年)、肝臓がんにより永眠。 | 1994年(平成6年)、肝臓がんにより永眠。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*[[団鬼六]]の『[[花と蛇]]』のファンであった。 | *[[団鬼六]]の『[[花と蛇]]』のファンであった。 | ||
==代表作== | ==代表作== | ||
*[[吉行淳之介]]『'''回想の中の[[カストリ雑誌]]'''』in 「カストリ復刻版」[[(日本出版社]], 1975) | |||
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2023年9月30日 (土) 14:33時点における最新版
よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年)4月13日 - 1994年(平成6年)7月26日。芥川賞作家として知られるが編集人としても活躍。東京三世社の創立メンバー。『花と蛇』の支持者であった。
概要
小説家としても有名だが、編集人としても活躍。東京三世社のルーツである三世社の創立メンバーでもあり、同社で編集人として働いていた。
別名
略歴
1924年(大正13年)4月13日、岡山に生まれる。
1946年(昭和21年)、東大を中退して新太陽社に就職。『アンサーズ』の編集長を経て、『モダン日本』の編集長に[注 1]。
1947年(昭和22年)秋、大学を中退してモダン日本に就職。『アンサーズ』の編集長を経て、『モダン日本』の編集長に[2]
1951年(昭和26年)、『別冊モダン日本』[注 2]を作っていた牧野英二が吉行淳之介、津久井柾章(名和青朗・名和左膳)と共に三世社を創立。『読切倶楽部』を創刊[3]。
1953年(昭和28年)、肺結核により会社を退社[4][注 3]。
1954年(昭和29年)、『驟雨』で第31回芥川賞を受賞。
1994年(平成6年)、肝臓がんにより永眠。