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'''あたみじょう'''。1959年(昭和34年)、熱海錦ヶ浦頂上にオープンした大規模な総合レジャーランド。[[1965年版「花と蛇」]]や[[若松孝二]]『冒涜の罠』(1965)のロケ地。 | |||
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1959年(昭和34年)10月16日、[[熱海城]]の開場式。泉山三六元大蔵大臣が出席。一般開場は18日<ref name="zaikai1959_10">『'''熱海城の”開場式” まだ未完成のままだが'''』財界 1959年(昭和34年)11月15日, p46</ref>。 | |||
1964年(昭和39年)、[[熱海城]]建設の融資会社、日興不動産が返済を迫って競売の申し立てをおこなう<ref name="shincho1964">『'''熱海城危うし 一ケタ違ったお客の数'''』週刊新潮 1964年(昭和39年)10月5日号, p27</ref>。 | |||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*錦ヶ浦は国が指定した公園地帯。自殺の名所として知られていた。 | |||
*地下一階には31に仕切られた名店街。地下二階には180畳敷きの大宴会場。地下三階には百坪の大浴場。理髪店、洗濯屋もついている。二階はステージ付きの70畳大広間が2つにビヤホール、レストラン、三階、四階は休憩用の客室が21部屋。五階は資料室。六階は展望台。七階は機械室<ref name="sankei1959_10"></ref>。 | |||
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あたみじょう。1959年(昭和34年)、熱海錦ヶ浦頂上にオープンした大規模な総合レジャーランド。1965年版「花と蛇」や若松孝二『冒涜の罠』(1965)のロケ地。
概要
三浦美淑により1959年(昭和34年)に建てられた熱海錦ヶ浦頂上の娯楽施設。1965年版「花と蛇」や若松孝二の『冒涜の罠』[1]がここで撮影された。
別名
所在地
錦ヶ浦の曽我山頂上。
歴史
1958年(昭和33年)5月、月300人の作業員を動員して建設開始[2]。
1959年(昭和34年)10月8日、熱海城の開場の前夜祭を大手町のサンケイホールで開催[注 1][2]。
1959年(昭和34年)10月16日、熱海城の開場式。泉山三六元大蔵大臣が出席。一般開場は18日[3]。
1964年(昭和39年)、熱海城建設の融資会社、日興不動産が返済を迫って競売の申し立てをおこなう[4]。
エピソード
- 錦ヶ浦は国が指定した公園地帯。自殺の名所として知られていた。
- 地下一階には31に仕切られた名店街。地下二階には180畳敷きの大宴会場。地下三階には百坪の大浴場。理髪店、洗濯屋もついている。二階はステージ付きの70畳大広間が2つにビヤホール、レストラン、三階、四階は休憩用の客室が21部屋。五階は資料室。六階は展望台。七階は機械室[2]。