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'''えすえむくらぶ'''。1980年代前半に[[日本出版社]]から出版されたSM雑誌。[[団鬼六]]、[[安芸蒼太郎]]、[[千草忠夫]]などが執筆。大学生時代の[[有末剛]]も寄稿。[[鏡堂みやび]]が編集人。
'''えすえむくらぶ'''。1980年代前半に[[日本出版社]]から出版されたSM雑誌。[[団鬼六]]、[[安芸蒼太郎]]、[[千草忠夫]]などが執筆。大学生時代の[[有末剛]]も寄稿。後の[[鏡堂みやび]]が編集人。
== 概要 ==
== 概要 ==
1980年代前半に[[日本出版社]]から出版されていたSM雑誌。[[団鬼六]]、[[安芸蒼太郎]]、[[千草忠夫]]などが執筆。『[[有末剛]]のカメラ・ハント』が連載。[[鏡堂みやび]]が編集人をしていた。
1977年(昭和52年)に[[日本出版社]]から創刊されたSM雑誌。[[団鬼六]]、[[安芸蒼太郎]]、[[千草忠夫]]などが執筆。『[[有末剛]]のカメラ・ハント』が連載。後の[[鏡堂みやび]]が[[柿崎和美]]名で編集人をしていた。
== 発行年・出版社==
== 発行年・出版社==
[[日本出版社]]
[[日本出版社]]


== 発行人・編集人==
== 発行人・編集人==
[[かきざき和美]](=[[鏡堂みやび]])
 
[[安田光男]] 1979年(昭和54年)10月号
 
[[矢崎泰夫]] 1983年(昭和58年)2月号
 
[[柿崎雅人]](=[[柿崎和美]]=[[かきざき和美]]=[[鏡堂みやび]])


== 主な出来事==
== 主な出来事==
*1983年(昭和58年)12月号が「通巻57号」となっている。
1977年(昭和52年)6月、夏季創刊号。季刊発行。
 
1978年(昭和53年)3月、この号から隔月発行。
 
1979年(昭和54年)3月、『[[にっぽん実話読物]]』の3月増刊号として『[[SMクラブ]]』が発行。この号より毎月発行。
 
1983年(昭和58年)12月号が「通巻57号」となっている。
 
1984年(昭和59年)夏頃、編集人が[[矢崎泰夫]]から[[柿崎雅人]]に。
 
1985年(昭和60年)6月号が「通巻85号第9巻第6号」となっている。
 
==ギャラリー==
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画像:SMClub.jpg|[[SMクラブ]] 1981年(昭和56年)10月号。表紙:[[小妻容子]]。
画像:SMClub298304.png|[[SMクラブ]] 1983年(昭和58年)1月号。表紙は[[阿部茉莉央]]。
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==主な連載==
1979年(昭和54年)頃、[[SMクラブ]]に『'''[[有末剛]]のカメラ・ハント'''』連載開始。
1984年(昭和59年)4月、[[SMクラブ]]4月号から『'''[[有末剛]]の緊縛生活'''』連載開始。
 
==別冊・増刊号==
==別冊・増刊号==
*[[団鬼六]]責任編集『'''鬼六・ナオミSM写真館 妖縄花'''』[[SMクラブ]]増刊 ([[日本出版社]], 1980.5.15)(発行人:矢崎泰夫)
*[[団鬼六]]責任編集『'''鬼六・ナオミSM写真館 妖縄花'''』[[SMクラブ]]増刊 ([[日本出版社]], 1980.5.15)(発行人:矢崎泰夫)
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*[[団鬼六]]責任編集『'''鬼六・ナオミSM写真館 妖縄花'''』[[SMクラブ]]増刊。([[日本出版社]], 1980.5.15)
*[[団鬼六]]責任編集『'''鬼六・ナオミSM写真館 妖縄花'''』[[SMクラブ]]増刊。([[日本出版社]], 1980.5.15)
*『[[有末剛]]のカメラ・ハント』『[[有末剛]]の緊縛生活』などが連載。
*『[[有末剛]]のカメラ・ハント』『[[有末剛]]の緊縛生活』などが連載。
===[[日本出版社]]からのSM写真集===
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== エピソード==
== エピソード==
[[画像:SMClub_binihon.jpg|150px|thumbnail|[[ビニ本]]の『'''[[SMクラブ]]'''』([[大新企画]], 年代不明)([[日本出版社]]の[[SMクラブ]]とは別雑誌。]]
*表紙は[[小妻要|小妻容子]]
*表紙は[[小妻要|小妻容子]]
*[[有末剛]]は大学生時代[[SMクラブ]]に小説を書いており、やがて緊縛師として学生のままデビューする。
*[[有末剛]]は大学生時代[[SMクラブ]]に小説を書いており、やがて緊縛師として学生のままデビューする。
*[[ビニ本]]で『'''[[SMクラブ]]'''』([[大新企画]], 年代不明)も存在。


== 脚注==
== 脚注==
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2024年10月16日 (水) 12:35時点における最新版

SMクラブ 1981年(昭和56年)10月号。表紙:小妻容子

えすえむくらぶ。1980年代前半に日本出版社から出版されたSM雑誌。団鬼六安芸蒼太郎千草忠夫などが執筆。大学生時代の有末剛も寄稿。後の鏡堂みやびが編集人。

概要

1977年(昭和52年)に日本出版社から創刊されたSM雑誌。団鬼六安芸蒼太郎千草忠夫などが執筆。『有末剛のカメラ・ハント』が連載。後の鏡堂みやび柿崎和美名で編集人をしていた。

発行年・出版社

日本出版社

発行人・編集人

安田光男 1979年(昭和54年)10月号

矢崎泰夫 1983年(昭和58年)2月号

柿崎雅人(=柿崎和美=かきざき和美=鏡堂みやび)

主な出来事

1977年(昭和52年)6月、夏季創刊号。季刊発行。

1978年(昭和53年)3月、この号から隔月発行。

1979年(昭和54年)3月、『にっぽん実話読物』の3月増刊号として『SMクラブ』が発行。この号より毎月発行。

1983年(昭和58年)12月号が「通巻57号」となっている。

1984年(昭和59年)夏頃、編集人が矢崎泰夫から柿崎雅人に。

1985年(昭和60年)6月号が「通巻85号第9巻第6号」となっている。

ギャラリー

主な連載

1979年(昭和54年)頃、SMクラブに『有末剛のカメラ・ハント』連載開始。 1984年(昭和59年)4月、SMクラブ4月号から『有末剛の緊縛生活』連載開始。

別冊・増刊号

日本出版社からのSM写真集

エピソード

ビニ本の『SMクラブ』(大新企画, 年代不明)(日本出版社SMクラブとは別雑誌。

脚注

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