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*[[安芸蒼太郎]]『'''黒の淫ら火'''』[[S&Mスナイパー]]1979年(昭和54年)9月創刊号。挿絵:[[葭屋無平]] | *[[安芸蒼太郎]]『'''黒の淫ら火'''』[[S&Mスナイパー]]1979年(昭和54年)9月創刊号。挿絵:[[葭屋無平]] | ||
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画像:MitsuruMimura02.png|[[安芸蒼太郎]]・作、[[木村仁]]・画『'''紅ぐも流れ旅'''』 [[SMセレクト]] 1972年(昭和47年)3月号より。 | |||
画像:Tendoujishin05.jpg|[[安芸蒼太郎]]『'''黒き縛淫の館'''』(挿絵:[[天堂寺慎]])[[SMキング]]1973年(昭和48年)8月号 | 画像:Tendoujishin05.jpg|[[安芸蒼太郎]]『'''黒き縛淫の館'''』(挿絵:[[天堂寺慎]])[[SMキング]]1973年(昭和48年)8月号 | ||
画像:kazumukohinata10.png|[[万里小路崑]]『'''武家女女房無残ごよみ'''』(挿絵:[[小日向一夢]])[[SMキング]] 1974年(昭和49年)6・7月号 | 画像:kazumukohinata10.png|[[万里小路崑]]『'''武家女女房無残ごよみ'''』(挿絵:[[小日向一夢]])[[SMキング]] 1974年(昭和49年)6・7月号 | ||
画像:NobuoOkamoto01.png|[[安芸蒼太郎]]・文、[[岡本信夫]]・画『'''耽美な罠'''』[[別冊SMファン]] 1975年(昭和50年)1月号より。 | |||
画像JunMizuki01.png|[[安芸蒼太郎]]『'''調教ゲーム'''』[[S&Mフロンティア]] 1977年(昭和52年)6月創刊号より。挿絵:[[水城淳]]。 | |||
画像:Nirehata05.png|[[安芸蒼太郎]]『'''性奴ハンター'''』[[SMクラブ]] 1979年(昭和54年)7月号より。[[楡畑雄二]]名義。 | |||
画像:Muhei06.png|[[安芸蒼太郎]]・文、[[白石伯山]]・画『'''たそがれの妄執'''』[[S&Mコレクター]]1980年(昭和55年)1月号より | |||
画像:Tendoujishin17.png|[[安芸蒼太郎]]『'''獣色曲馬団'''』[[SMクラブ]] 1980年(昭和55年)5月号より。挿絵: [[天堂寺慎]] | |||
画像JunMizuki03.png|[[安芸蒼太郎]]・文、[[水城淳]]・画『'''繩初夜'''』[[ [[SMファン]]1981年(昭和56年)12月増刊号『'''[[SMエロス]]'''』より。 | |||
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2023年12月3日 (日) 17:07時点における最新版
あき そうたろう、19xx年(昭和xx年)
概要
文筆家。1960年(昭和35年)頃から裏窓などに執筆。続いて、SMセレクト、SMクラブ、SMフロンティア、SMフェニックスなどの多くのSM雑誌に執筆。万里小路崑(までのこうじ こん)[注 1]などの筆名ももつ。
別名
主な出来事
1960年(昭和35年)、裏窓6月号へ一挙掲載された『天変三日月秘文』でデビュー。
1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロとサン出版の企画による箱根での慰労会[1]。出席者は団鬼六、美濃村晃、堂昌一、小日向一夢、千草忠夫、安芸蒼太郎、小妻容子、前田寿安、沖渉二、古正英生、東桂史、中島喜美、織裳雪夫、松井籟子、蘭光生、天堂寺慎、山田彬弘、曽我部泰、佐藤重臣、ネコ、マリ。
エピソード
代表作
雑誌
- 万野小路崑『忍法東海軍略』(耽美館, 1969)(挿絵:鬼頭暁)(SM耽美文学シリーズ No.4)
- 万野小路崑『剣花無残旅』(耽美館, 1969)(挿絵:山田彬弘)(SM耽美文学シリーズ No.9)
- 万里小路崑『続剣花無残旅』(耽美館, 1969)(挿絵:曽我部泰)(SM耽美文学シリーズ No.17)
- 安芸蒼太郎『密戯の始まり』SM奇譚1976年(昭和51年)6月号。挿絵:都築峰子
- 安芸蒼太郎『暴姦の遁走曲』SMクラブ1977年(昭和52年)10月号
- 安芸蒼太郎『黒の淫ら火』S&Mスナイパー1979年(昭和54年)9月創刊号。挿絵:葭屋無平
書籍
- 安芸蒼太郎『恥辱の教室』(二見書房, 1983)
脚注
注釈
- ↑ 京都にある万里小路が筆名の由来。