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1983年(昭和58年)9月、SMサロン『[[タントラの館]]』をオープン。
1983年(昭和58年)9月、SMサロン『[[タントラの館]]』をオープン。
1984年(昭和59年)7月、[[S&Mスナイパー]]1984年7月号から『'''私のSM回想録'''』の連載開始。
1986年(昭和61年)7月、[[S&Mスナイパー]]1985年7月号から『'''[[名和徹]]のSM縛り歩記'''』の連載開始。
1987年(昭和62年)6月、[[S&Mスナイパー]]1987年6月号から『'''[[名和徹]]の緊縛電影行状顛末譚'''』の連載開始。


1988年(昭和63年)、[[フォトスナイパー]]4月号に「[[名和徹]]のSMシアター SM女囚被虐撮影会」の案内。3月11日[[中野クィーン]]にて。モデル:[[胡桃沢麗]]。
1988年(昭和63年)、[[フォトスナイパー]]4月号に「[[名和徹]]のSMシアター SM女囚被虐撮影会」の案内。3月11日[[中野クィーン]]にて。モデル:[[胡桃沢麗]]。


1990年(平成2年)頃、『会員制SMサロン・名和』をオープン。新宿区新宿5ー1ー4新宿イン701。
1990年(平成2年)2月20日、『'''会員制SMサロン・[[名和]]'''』をオープン。新宿区新宿5ー1ー4新宿イン701。


1993年(平成5年)2月6日、「みんなで縛ろう会」の案内が「名和企画」で[[エピキュリアン]]2月号に出ている。
1993年(平成5年)2月6日、「みんなで縛ろう会」の案内が「名和企画」で[[エピキュリアン]]2月号に出ている。
1993年(平成5年)3月、[[SMスピリッツ]]1993年(平成5年)3月号に『'''[[SUPERカルト対談]] [[名和徹]]vs[[長田英吉]]'''』掲載。


==エピソード==
==エピソード==
*[[玉井敬友]]が主催するシアタースキャンダルの初期マネージャーをやっていた<ref name="spirit"></ref>。
*[[玉井敬友]]が主催するシアタースキャンダルの初期マネージャーをやっていた<ref name="spirit"></ref>。
* SMスナイパーの誌上掲示板に『名和徹のみんなで縛ろう会』<ref name="tantei">[[貴重な情報発信サイト|SM探偵団]]</ref>
* SMスナイパーの誌上掲示板に『名和徹のみんなで縛ろう会』<ref name="tantei">[[貴重な情報発信サイト|SM探偵団]]</ref>
*1980年代には[[中野クィーン]]で定期的に『'''[[名和徹のSMシアター]]'''』を開催。


==代表作==
==代表作==
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*『'''恥辱の美少女'''』([[シネマジック]], 1989)(監督:[[峰一也]]、縄師:[[濡木痴夢男]]、脚本:[[名和徹]])
*『'''恥辱の美少女'''』([[シネマジック]], 1989)(監督:[[峰一也]]、縄師:[[濡木痴夢男]]、脚本:[[名和徹]])
*『'''淫虐地獄'''』([[アートビデオ]], 1990.1.11)(監督:[[名和徹]]、出演:詠美、沙也加)
*『'''淫虐地獄'''』([[アートビデオ]], 1990.1.11)(監督:[[名和徹]]、出演:詠美、沙也加)
*『'''淫虐地獄2'''』([[アートビデオ]], 1990.10.12)(監督:[[名和徹]]、出演:森尾歩衣)
*『'''淫虐地獄2'''』([[アートビデオ]], 1990.10.12)(監督:[[名和徹]]、出演:[[森尾歩衣]])
*『'''人妻奴隷極道の贄2'''』([[アートビデオ]], 1996)(監督:[[夢流ZOU]]、出演:倉沢萌、[[名和徹]])<ref name="tantei"></ref>
*『'''人妻奴隷極道の贄2'''』([[アートビデオ]], 1996)(監督:[[夢流ZOU]]、出演:倉沢萌、[[名和徹]])<ref name="tantei"></ref>
===雑誌===
===雑誌===

2023年10月20日 (金) 08:22時点における最新版

名和徹(『隷奴・亜理沙』(アートビデオ, 1988)より)

なわ とおる、1923年(大正12年)-。大正生まれの緊縛師。玉井敬友が主催するシアタースキャンダルでSM劇の制作に関わった後に、1980年代後半、1990年代初めのアートビデオで監督や出演者として名が残っている『名和企画』の主宰者。

概要

緊縛師。AV監督。

別名

Toru Nawa

略歴

1923年(大正12年)2月、大阪府に生まれる[1]

1950年(昭和25年)頃、SMを始める[1]

1980年(昭和55年)1月、SM奇譚1月号に「名和企画」の広告。連絡先は大阪。

1983年(昭和58年)9月、SMサロン『タントラの館』をオープン。

1984年(昭和59年)7月、S&Mスナイパー1984年7月号から『私のSM回想録』の連載開始。

1986年(昭和61年)7月、S&Mスナイパー1985年7月号から『名和徹のSM縛り歩記』の連載開始。

1987年(昭和62年)6月、S&Mスナイパー1987年6月号から『名和徹の緊縛電影行状顛末譚』の連載開始。

1988年(昭和63年)、フォトスナイパー4月号に「名和徹のSMシアター SM女囚被虐撮影会」の案内。3月11日中野クィーンにて。モデル:胡桃沢麗

1990年(平成2年)2月20日、『会員制SMサロン・名和』をオープン。新宿区新宿5ー1ー4新宿イン701。

1993年(平成5年)2月6日、「みんなで縛ろう会」の案内が「名和企画」でエピキュリアン2月号に出ている。

1993年(平成5年)3月、SMスピリッツ1993年(平成5年)3月号に『SUPERカルト対談 名和徹vs長田英吉』掲載。

エピソード

代表作

AV

雑誌

参考資料

  1. 1.0 1.1 1.2 SMスピリッツ1974年(昭和49年)2月号
  2. 2.0 2.1 SM探偵団

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