「桜田信」の版間の差分
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[[画像:ShinSakurada2.jpg|250px|thumbnail|[[SMクラブ]]1980年11月号に紹介されている同年8月30日西荻窪アトリエでの[[桜田信]]、[[沢ユミ]]出演の『SM飼育室II~SM/漂流・聖女の島』の場面]] | |||
[[画像:Osada@GSG2.jpg|250px|thumbnail|[[別冊SMファン]]1980年12月号に紹介されている西荻窪アトリエでの[[桜田信]]、[[黒川まゆみ]]出演の『SM繩縛展覧会』]] | |||
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1980頃(昭和55年)?、当初[[桜田伝次郎]]は企画のみに専念しており、舞台には出演していない。[[GSG企画]]の西荻窪アトリエに出演していた[[桜田信]]が急病のため、代理として舞台に上がったのが最初のSMショーの出演。この時、[[桜田信]]をもじって[[桜田伝次郎]]という名前が誕生した<ref name="shishin2014_04"></ref>。 | 1980頃(昭和55年)?、当初[[桜田伝次郎]]は企画のみに専念しており、舞台には出演していない。[[GSG企画]]の西荻窪アトリエに出演していた[[桜田信]]が急病のため、代理として舞台に上がったのが最初のSMショーの出演。この時、[[桜田信]]をもじって[[桜田伝次郎]]という名前が誕生した<ref name="shishin2014_04"></ref>。 | ||
1980(昭和55年)8月28日-30日、西荻窪の[[GSG企画室]]にて『SM飼育室II~SM/漂流・聖女の島』出演:[[桜田信]]<ref name="pia111">[[ぴあ]]1988年(昭和55年)No.111</ref>。この公演の模様は、[[SMクラブ]]11月号の[[野平達彦]]『SM実験劇の熱い息吹』でも紹介。[[沢ユミ]]が出演とある。 | |||
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2021年6月17日 (木) 12:09時点における最新版
さくらだ しん、19??年(昭和??年)-
概要
桜田伝次郎が主宰していたGSG企画のSMショーで責め役として出演しいたパフォーマー。GSG企画の西荻窪アトリエでの公演に限って出演していた。
別名
略歴
1977年(昭和52年)、桜田伝次郎、黒川真由美、桜田信でGSG企画[注 1]を発足。西荻窪、大塚の『SMボンバー』、中野の『東京SM倶楽部』でGSG企画のSMショー[1]。ただし桜田信はGSG企画の西荻窪アトリエでの公演に限って出演していた[2]。
1978年(昭和53年)、西荻窪のビルの地下で行われていたGSG企画のショーで、明智伝鬼と桜田伝次郎、桜田信が出会う[1]。
1980頃(昭和55年)?、当初桜田伝次郎は企画のみに専念しており、舞台には出演していない。GSG企画の西荻窪アトリエに出演していた桜田信が急病のため、代理として舞台に上がったのが最初のSMショーの出演。この時、桜田信をもじって桜田伝次郎という名前が誕生した[2]。
1980(昭和55年)8月28日-30日、西荻窪のGSG企画室にて『SM飼育室II~SM/漂流・聖女の島』出演:桜田信[3]。この公演の模様は、SMクラブ11月号の野平達彦『SM実験劇の熱い息吹』でも紹介。沢ユミが出演とある。
エピソード
代表作
引用文献
注釈
- ↑ 杉並区西荻南2-19-10