「志村立美」の版間の差分
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[[画像:tatsumishimura3.jpg|150px|thumbnail|[[志村立美]] 文藝倶楽部 1949年(昭和24年)1月号表紙]] | |||
'''しむら たつみ'''、1907年(明治40年)2月17日 - 1980年(昭和55年)5月4日。戦前、戦後の日本画家、挿絵画家。美人画で有名で、主婦の友・婦女界などの雑誌の口絵で人気が出る。[[須磨利之]]が影響を受けたのではとの指摘もある。 | |||
==概要== | |||
美人画家、挿絵画家。主婦の友・婦女界などの雑誌の口絵で人気が出る。「丹下左膳」の挿絵などで[[岩田専太郎]]と並ぶ人気画家となる。晩年、日本画、美人画へ回帰。 | |||
==別名== | ==別名== | ||
志村仙太郎 | |||
==略歴== | ==略歴== | ||
1907年(明治40年)2月17日、群馬県高崎市に生まれる。 | 1907年(明治40年)2月17日、群馬県高崎市に生まれる。 | ||
1924年(大正13年) | 横浜市中区へ移住。 | ||
1924年(大正13年)、山川秀峰に入門<ref group="注">当時、山川秀峰は鏑木清方同門の[[伊東深水]]と共に、挿絵での活動もしていた。 山川秀峰の推薦を受け、立美も挿絵での活動を行うようになる。</ref>。 | |||
1976年(昭和51年)、『美人百態』で日本作家クラブ賞。 | 1976年(昭和51年)、『美人百態』で日本作家クラブ賞。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*[[須磨利之|高月大三]]『'''戦後の挿繪に現れた女の責め場'''』[[奇譚クラブ]] 1953年(昭和28年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195305/006.html 口絵]で紹介されている。 | *『'''文藝倶楽部'''』(1949)『'''[[別冊モダン日本]]'''』(1951)などの表紙。 | ||
*[[須磨利之|高月大三]]『'''戦後の挿繪に現れた女の責め場'''』[[奇譚クラブ]] 1953年(昭和28年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195305/01/006.html 口絵]で紹介されている。 | |||
*[[岩田専太郎]]・[[富永謙太郎]]らとともに「御三家」と呼ばれた。 | *[[岩田専太郎]]・[[富永謙太郎]]らとともに「御三家」と呼ばれた。 | ||
*[[千草忠夫]]は[[須磨利之]]が[[志村立美]]からの影響を受けたのではないかと指摘している<ref>[[千草忠夫]]『'''美濃村さんと私'''』[[S&Mスナイパー]]1992年(平成4年)7月号</ref>。 | |||
==作品== | ==作品== | ||
*舟橋聖一『'''満月'''』([[大元社]], 1947)<ref group="注">発行者:[[久保藤吉]]、印刷者:久保宇之助、製本者:久保長吉</ref>のカバー。 | *舟橋聖一『'''満月'''』([[大元社]], 1947)<ref group="注">発行者:[[久保藤吉]]、印刷者:久保宇之助、製本者:久保長吉</ref>のカバー。 | ||
*山手樹一郎『'''夫婦八景'''』主婦と生活 1952年(昭和27年)10月号の挿絵。 | *山手樹一郎『'''夫婦八景'''』主婦と生活 1952年(昭和27年)10月号の挿絵。 | ||
*[[志村立美]]『'''かんざし'''』(大日本絵画, 1978) | |||
== 引用文献== | == 引用文献== | ||
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== お役たちweb== | == お役たちweb== | ||
*[http://www.shimuratatsumi.com/ | *[http://web.archive.org/web/20120828231121/http://www.shimuratatsumi.com/ 志村立美公式ウェブサイト] | ||
*[http://d.hatena.ne.jp/shinju-oonuki/20080530 丹下左膳の家紋・髑髏は志村立美が考案したもの] | |||
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しむら たつみ、1907年(明治40年)2月17日 - 1980年(昭和55年)5月4日。戦前、戦後の日本画家、挿絵画家。美人画で有名で、主婦の友・婦女界などの雑誌の口絵で人気が出る。須磨利之が影響を受けたのではとの指摘もある。
概要
美人画家、挿絵画家。主婦の友・婦女界などの雑誌の口絵で人気が出る。「丹下左膳」の挿絵などで岩田専太郎と並ぶ人気画家となる。晩年、日本画、美人画へ回帰。
別名
志村仙太郎
略歴
1907年(明治40年)2月17日、群馬県高崎市に生まれる。
横浜市中区へ移住。
1924年(大正13年)、山川秀峰に入門[注 1]。
1976年(昭和51年)、『美人百態』で日本作家クラブ賞。
エピソード
- 『文藝倶楽部』(1949)『別冊モダン日本』(1951)などの表紙。
- 高月大三『戦後の挿繪に現れた女の責め場』奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号, 口絵で紹介されている。
- 岩田専太郎・富永謙太郎らとともに「御三家」と呼ばれた。
- 千草忠夫は須磨利之が志村立美からの影響を受けたのではないかと指摘している[1]。