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[[画像:Akiyoshi.jpg|150px|thumbnail|秋吉巒 (1922-1981) 『[[風俗草紙]]』表紙(1953)]]
{{秋吉巒}}
'''あきよし らん'''、1922年(大正11年)-1981年(昭和56年
==活動内容==
画家
 
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Ran_Akiyoshi Ran Akiyoshi]、秋吉照國(本名)
 
==略歴 ==
 
1922年(大正11年)、京城生まれ。
 
1950年(昭和25年)頃、『[[デカメロン]]』等の表紙の仕事を始める。その後、モダン夫婦讀本、新婦人(昭和28年)、探偵倶楽部(昭和32年)、現代読本(昭和31年)、讀物雑誌(昭和32年)、別冊漫画天国(昭和39年)、人間の記録、不思議な雑誌、『[[風俗草紙]]』『[[奇譚クラブ]]』『[[デカメロン]]』『宝石』『[[裏窓]]』『[[SMコレクター]]』『[[サスペンスマガジン]]』『[[SMキング]]』などの挿絵、表紙を書く。
 
1981年(昭和56年)、心不全で死去。58歳
 
1982年(昭和57年)、青木画廊で遺作展。
 
2010年(平成22年)、[[風俗資料館]]と青木画廊で『知られざる秋吉巒の世界』展。
 
==エピソード==
*生涯1枚の絵画も売らなかったといわれる。
*絵は独学で、挿絵の仕事で生計を立てていた。
*澁澤龍彦が評価。「通俗シュルレアリスム」と呼ぶ。
*年代不明の「ムードスリラー赤い蝙蝠」ではイラストのみならず文も書いていたようだ([[風俗資料館]]の2010展覧会より)。
 
==代表作品==
*『[[風俗草紙]]』『[[奇譚クラブ]]』『[[デカメロン]]』『宝石』『[[裏窓]]』『[[SMコレクター]]』『[[サスペンスマガジン]]』『[[SMキング]]』などの表紙・挿絵。
*『秋吉巒+アール・デコ+芸術と革命展』美術手帖1982年(昭和57年)12月号
*秋吉裕一/編『illusion 幻想画家 秋吉巒の世界』(文芸社, 2000)
*「[[秋吉巒]]・[[四条綾]] エロスと幻想のユートピア~風俗資料館秘蔵画選集1」(書苑新社, 2010)
 
== 引用文献==
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>
== お役たちweb==
[http://www.aokigallery.jp/new/exhibition/akiyosi/akiyosi2003.html]<br>
[http://homepage2.nifty.com/barroco/rev/akiyosi.htm]<br>
[http://www.yuyu-museum.com/exhibition%20hall/akiyoshi01.html]<br>
[http://blogs.yahoo.co.jp/kms130/58736071.html]<br>
[http://shamon-kuro.txt-nifty.com/hinemosu/2007/05/post_dda9.html]<br>
==つながり==
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2019年9月30日 (月) 13:38時点における最新版

秋吉巒 (1922-1981) 『風俗草紙』表紙(1953)
秋吉巒 (1922-1981) 「秋吉巒四条綾 エロスと幻想のユートピア~風俗資料館秘蔵画選集1」(書苑新社, 2010)より

あきよし らん、1922年(大正11年)-1981年(昭和56年)。1950年代から70年代にかけて『風俗草紙』『裏窓』『SMキング』『SM奇譚』などの表紙・挿絵。澁澤龍彦が「通俗シュルレアリスム」と評価。

概要

画家。『風俗草紙』『奇譚クラブ』『デカメロン』『あまとりあ』『宝石』『裏窓』『緊縛美』『SMコレクター』『サスペンスマガジン』『SMキング』『SMファン』『別冊SMファン』『SM奇譚』『SMプレイ』などの表紙・挿絵をてがけていた。

別名

Ran Akiyoshi 秋吉巒 秋吉照國(本名) 秋吉らん 秋吉峦 秋吉巒鬼 根元裕 根本裕[1] 桧山紀太郎 碧川新 芹川裕之[2]

略歴

1922年(大正11年)8月22日、京城生まれ。

1946年(昭和21年)、終戦後九州を経て上京[3]

1947年(昭和22年)、結婚。米軍将校の肖像画などを描いて生計[3]

1950年(昭和25年)頃、『デカメロン』等の表紙の仕事を始める。その後、モダン夫婦讀本、新婦人(昭和28年)、探偵倶楽部(昭和32年)、現代読本(昭和31年)、讀物雑誌(昭和32年)、別冊漫画天国(昭和39年)、人間の記録、不思議な雑誌、『風俗草紙』『奇譚クラブ』『デカメロン』『宝石』『裏窓』『あまとりあ』『SMコレクター』『サスペンスマガジン』『SMキング』などの挿絵、表紙を書く。

1958年(昭和33年)10月、『探偵倶楽部 耽奇ミステリーよみもの』に掲載された『ムードスリラー 赤い蝙蝠』(構成:秋吉巒、製作:高須信次郎・秋吉巒)では、文も書いていたようだ。

1971年(昭和46年)12月、『SMファン』創刊号の目次カットと藤見郁『人斬り』の挿絵。

1972年(昭和47年)11月、『SMキング』11・2月合併号から表紙を秋吉巒が担当。

1974年(昭和49年)、異端文藝創刊号で特集「秋吉巒の世界」

1981年(昭和56年)、心不全で没。58歳

1982年(昭和57年)、青木画廊で遺作展。

2010年(平成22年)、風俗資料館と青木画廊で『知られざる秋吉巒の世界』展。

エピソード

  • 生涯1枚の絵画も売らなかったといわれる。
  • 絵は独学で、挿絵の仕事で生計を立てていた。
  • 澁澤龍彦が評価。「通俗シュルレアリスム」と呼ぶ。

代表作品

ギャラリー

引用文献

注釈

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