「幸ビル」の版間の差分
提供:SMpedia
編集の要約なし |
|||
(同じ利用者による、間の2版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{kakikake-stub}} | {{kakikake-stub}} | ||
==概要== | ==概要== | ||
戦後、[[文藝春秋社]]、[[鱒書房]]、[[日本社]] | 戦後、[[文藝春秋社]]、[[鱒書房]]、[[日本社]]などの出版社が入居していたビル。 | ||
==別名== | ==別名== | ||
11行目: | 11行目: | ||
1945年(昭和20年)頃、それまで日比谷ダイビルに入居していた[[文藝春秋社]]が、日比谷ダイビルがJHQに接収されたため、[[幸ビル]]に移って来た<ref name="kentikushi">[https://blogs.yahoo.co.jp/mk26813/62179165.html 建築士から見たマンションについての本音を公開します]</ref>。 | 1945年(昭和20年)頃、それまで日比谷ダイビルに入居していた[[文藝春秋社]]が、日比谷ダイビルがJHQに接収されたため、[[幸ビル]]に移って来た<ref name="kentikushi">[https://blogs.yahoo.co.jp/mk26813/62179165.html 建築士から見たマンションについての本音を公開します]</ref>。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*[[菊池寛]]の[[文藝春秋社]]と[[鱒書房]]は同じ内幸町の幸ビルにあり、[[菊池寛]]と[[増永善吉]]は旧知の仲であった<ref name="hanada"></ref>。 | *[[菊池寛]]の[[文藝春秋社]]と[[鱒書房]]は同じ内幸町の幸ビルにあり、[[菊池寛]]と[[増永善吉]]は旧知の仲であった<ref name="hanada">[http://www.zassi.net/contents/fuunroku.html 花田紀凱の戦後雑誌風雲録]</ref>。 | ||
*内幸町の[[幸ビル]]は戦火を逃れたビルの1つであった。ここにはビアホールの「ニユートーキヨー」も入っていた。ネット上には「ニユートーキヨー」が[[鱒書房]]のスポンサーであったような記述が見受けられるが真偽は定かで無い。 | *内幸町の[[幸ビル]]は戦火を逃れたビルの1つであった。ここにはビアホールの「ニユートーキヨー」も入っていた。ネット上には「ニユートーキヨー」が[[鱒書房]]のスポンサーであったような記述が見受けられるが真偽は定かで無い。 | ||
*1980年(昭和55年)には内幸町1-3-1に新しい16Fの「幸ビル」が竣工している。 | |||
== 引用文献== | == 引用文献== | ||
<references/> | <references/> | ||
22行目: | 22行目: | ||
{{DEFAULTSORT: | {{DEFAULTSORT:さちびる}} | ||
[[Category:SM聖地]] | [[Category:SM聖地]] | ||
[[Category:1940年代のSM聖地]] | [[Category:1940年代のSM聖地]] | ||
[[Category:総索引]] | [[Category:総索引]] | ||
[[Category:鋳型]] | [[Category:鋳型]] |
2018年12月28日 (金) 08:00時点における最新版
概要
戦後、文藝春秋社、鱒書房、日本社などの出版社が入居していたビル。
別名
所在地
東京都千代田区内幸町2-3
歴史
1927年(昭和2年)、竣工[1]。
1945年(昭和20年)頃、それまで日比谷ダイビルに入居していた文藝春秋社が、日比谷ダイビルがJHQに接収されたため、幸ビルに移って来た[1]。
エピソード
- 菊池寛の文藝春秋社と鱒書房は同じ内幸町の幸ビルにあり、菊池寛と増永善吉は旧知の仲であった[2]。
- 内幸町の幸ビルは戦火を逃れたビルの1つであった。ここにはビアホールの「ニユートーキヨー」も入っていた。ネット上には「ニユートーキヨー」が鱒書房のスポンサーであったような記述が見受けられるが真偽は定かで無い。
- 1980年(昭和55年)には内幸町1-3-1に新しい16Fの「幸ビル」が竣工している。