「中一彌」の版間の差分
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2016年1月5日 (火) 12:40時点における最新版
なか かずや、1911年(明治44年)1月29日-2015年(平成27年)10月27日。明治生まれの絵師。平成まで80年以上現役。池波正太郎「鬼平犯科帳」など時代物の挿絵が多い。三男は逢坂剛。奇譚クラブ(昭和28年)で須磨利之が紹介。
概要
小田富弥の弟子で、小日向一夢(木俣清史)の兄弟子にあたる。山手樹一郎、吉川英治、山本周五郎、野村胡堂、海音寺潮五郎、藤沢周平などの挿絵。
別名
中一弥、中福寿(本名)[1]
略歴
1911年(明治44年)1月29日、大阪府門真市に生まれる。
1927年(昭和2年)、小田富弥に入門[注 1]。
1929年(昭和4年)5月、宝塚にいたころ葉多黙太郎が神戸新聞に連載していた「平安異香」に挿絵を描いたのがデビュー作[2]。
1929年(昭和4年)、名古屋新聞に連載していた直木三十五『本朝野士縁起』の挿絵。
1948年(昭和23年)7月、竹田敏彦『地獄を憧れる女』の挿絵。「小説の泉」(矢貴書店)
1971年(昭和46年)、第6回長谷川伸賞受賞
1993年(平成5年)、第41回菊池寛賞受賞
1996年(平成8年)、勲四等瑞宝章受章
2010年(平成22年)、「池波正太郎の世界」の表紙担当。
2014年(平成26年)、第48回吉川英治文化賞を受賞[1]。
2015年(平成27年)10月27日、肺炎で永眠(104才)。
エピソード
- 小学生の時、栄養失調により右目を失明[1]。
- 高月大三『戦後の挿繪に現れた女の責め場』奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号, 口絵で紹介されている。
- 作家逢坂剛は三男。
- 「私はやはり純日本的な顔が好きです。どうも近頃の女性の中からはモデルにしたいと思う女性はみつかりそうもありません」と述べている。
作品
- 『挿絵画家・中一弥―日本の時代小説を描いた男』(集英社, 2003)
引用文献
注釈
- ↑ 大阪朝日新聞に連載していた大佛次郎「照る日くもる日」の小田富弥の挿絵に憧れていた。