「森下高茂」の版間の差分

提供:SMpedia
 
(同じ利用者による、間の67版が非表示)
1行目: 1行目:
'''もりした たかしげ'''、1927年(昭和2年)<ref name="ex01">[http://m-chan.net/cgi/bbs/test/read.cgi?bbs=netas&key=1132677759&st=70&imode=1 ネット情報による]</ref>
[[画像:MorishitaTakashige1.jpg|250px|thumbnail|[[あけぼの会事件]]の主犯として週刊現代1960年8月28日号<ref name="gendai"></ref>。に紹介される[[森下小太郎]]。]]
 
[[画像:MorishitaTakashige2.jpg|250px|thumbnail|[[森下高茂|森本愛造]]『[[乗馬]]靴と長靴と鞭』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号]]
==活動内容==
[[画像:Letterm.jpg|250px|thumbnail|[[森下高茂|谷貫太]]『'''レターM'''』([[譚奇会]], 1972)(発売:[[三崎書房]])]]
'''もりした たかしげ'''、1927年(昭和2年)<ref name="ex01">[http://m-chan.net/cgi/bbs/test/read.cgi?bbs=netas&key=1132677759&st=70&imode=1 ネット情報による]</ref>。1953年(昭和28年)頃から[[奇譚クラブ]]等に[[森本愛造]]他の変名で寄稿。欧米フェティ文化の紹介も熱心で米国[[Nutrix|ヌートリクス]]社の代理店も。SMサークル「[[あけぼの会事件|あけぼの会]]」主宰。
==概要==
風俗史研究家。文筆家。
風俗史研究家。文筆家。


==別名==
==別名==
谷貫太、[[森本愛造]]、原忠正、森下小太郎(本名)、天泥盛英(あまでもりえ)、フェニクス商会、T. C. Moriscita, マックス・フォン・ティーツェム
[[谷貫太]]、[[森本愛造]]、[[原忠正]]、[[森下小太郎]](本名)、[[天泥盛栄]]、[[天泥盛英]](アメディオ・モディリエール、あまでもりえ)、フェニクス商会、T. C. Moriscita, マックス・フォン・ティーツェム
 
「通信や告白文には[[天泥盛英]](アメディオ・モディリエール)を用い、翻訳には[[森本愛造]]を用いる」<ref>[[原忠正]]名での読者通信 in [[奇譚クラブ]]1960年(昭和35年)2月号</ref>


==略歴==
==略歴==
1960年(昭和35年)、別冊[[風俗奇譚]]上に「ニュートリクス([[Irving Klaw|Nutrix]])・コーナー」「ニュートリクス画廊」の記事が頻繁に現れる。
1927年(昭和2年)頃<ref group="注">1959年(昭和34年)の[[あけぼの会事件]]当時に、32才とあることから逆算</ref>、印刷会社社長の長男として生まれる<ref name="gendai">「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版ー」『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-74.</ref><ref name="‎#Naitou">[[内藤三津子]]『'''[https://amzn.to/2ZPUa7z 薔薇十字社とその軌跡]'''』([[論創社]], 2013.3)</ref>。
 
旧制成践高校卒業<ref name="gendai"></ref>。
 
学生時代に知り合う新宿2丁目の赤線のM女性がきっかけでSMを始める<ref name="gendai"></ref>。
 
慶応大学仏文科卒業後、家業の印刷会社を手伝う<ref name="gendai"></ref>。
 
1953年(昭和28年)、[[奇譚クラブ]]4月号に[[森下高茂|森本愛造]]『[[乗馬]]靴と長靴と鞭』[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195304/01/025.html p30]。6才の時から乗馬の経験があると書いている。
 
1954年(昭和29年)、[[奇譚クラブ]]4月号の[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/01/020.html グラビア]に『'''鞭打つ女と馬になる男'''』と題して、[[Bizarre]]の[[John Willie]]の作品と思われるイラストと写真が「'''天泥盛英'''氏提供」で掲載。同誌の[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/01/027.html グラビア]に『'''残虐なる女性達'''』と題してDas Grausame Weib誌、Das Leben誌の挿絵、Vala Moro, Tackの作品を[[森下高茂|森本愛造]]の名前で紹介。
 
1958年(昭和33年)9月、『[[奇譚クラブ]]』の同好の士を全国から募集<ref group="注">週刊現代での主張だが、該当する広告や記事は[[奇譚クラブ]]からは見つからない([[U]])</ref>。これを機に「'''[[あけぼの会]]'''」の設立を計画。「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」と広告。[[中条泰太郎]]、大島、西岡らを部下として3名の女性を会員にあっせんし変態行為をさせる<ref name="gendai"></ref>。
 
1959年(昭和34年)4月頃、「'''[[あけぼの会]]'''」が本格的に活動開始。入会金千円、会費二千円/月。仲介料が3000-5000円。女性は田崎美代子ら12名に増える<ref name="gendai"></ref>。
 
1959年(昭和34年)7-9月、「みやこホテル」「大洋ホテル」で'''[[あけぼの会]]'''の活動<ref name="gendai"></ref>。
 
1959年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで「'''[[あけぼの会]]'''」主催の撮影会。18名参加。この撮影会に参加した会社員の藤倉が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る<ref name="gendai"></ref>。
 
1959年(昭和34年)11月、目黒碑文谷署は[[森下高茂]]、[[中条泰太郎]]を、売春防止法違反、恐喝、同未遂、公然ワイセツ等の容疑で逮捕・送検<ref name="gendai"></ref>。
 
1960年(昭和35年)、別冊[[風俗奇譚]]上に「ニュートリクス([[Nutrix|ヌートリクス]]・コーナー」「[[Nutrix]]画廊」の記事が頻繁に現れる。
 
1960年(昭和35年)6月、『'''[[風俗奇譚]]'''』6月号に[[谷貫太]]『'''マゾヒストの手紙から'''』が掲載<ref group="注">[[奇譚クラブ]]1960 年(昭和35年)7月号の[[沼正三]]『'''雑報欄'''』にこの記事に対するコメント。「これは[[曙会]]系の資料ではないかと想像される」とある。</ref>。
 
1960年(昭和35年)、8月28日「週刊現代」に「[[あけぼの会事件]]」をたたかれる<ref>古田純夫『「[[あけぼの会事件]]」に思う』[[奇譚クラブ]]1960年(昭和35年)12月号, p162</ref>。


1960年(昭和35年)、8月28日「週刊現代」に「あけぼの会事件」をたたかれる<ref>古田純夫『「あけぼの会事件」に思う』[[奇譚クラブ]]1960年(昭和35年)12月号, p162</ref>。
1961年(昭和36年)、日本[[Nutrix|ヌートリクス]]株式会社(旧泰西出版株式会社[[Nutrix|ヌートリクス]]社販売部)設立。


1964年(昭和39年)、[[あまとりあ社]]から『ショッキング画集1』を出版。[[John Willie]]などのイラスト集。解説文を[[濡木痴夢男]]と共に書いている。
1964年(昭和39年)、[[あまとりあ社]]から『ショッキング画集1』を出版。[[John Willie]]などのイラスト集。解説文を[[濡木痴夢男]]と共に書いている。
1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)11月号に[[森下小太郎]]『'''三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書 「[[家畜人ヤプー]]」の覆面作家は東京高裁[[倉田卓次]]判事'''』。
1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)12月号に[[森下小太郎]]『'''[[倉田卓次]]判事への公開質問状'''』。


==エピソード==
==エピソード==
*作曲家の[[矢代秋雄]]と親交。[[矢代秋雄]]は[[麻生保]]の変名で[[奇譚クラブ]]にに投稿していた<ref name="‎#Naitou"></ref>。
*『[[奇譚クラブ]]』『[[裏窓]]』『[[風俗奇譚]]』などで海外のフェチシズムを紹介。
*『[[奇譚クラブ]]』『[[裏窓]]』『[[風俗奇譚]]』などで海外のフェチシズムを紹介。
*森下から[[Fakir Musafar]]を通じて、日本の緊縛写真が米国に流れていた。
*森下から[[Fakir Musafar]]を通じて、日本の緊縛写真が米国に流れていた。
*[[濡木痴夢男]]に[[Fakir Musafar]]を紹介した。
*[[濡木痴夢男]]に[[Fakir Musafar]]を紹介した。
*1981年(昭和56年)の「諸君」(文藝春秋社)で「家畜人ヤプー」の作者[[沼正三]]が東京高裁判事倉田卓次氏だということを暴露。現在ではこれは誤認識とされている。
*1981年(昭和56年)の「諸君」(文藝春秋社)で「[[家畜人ヤプー]]」の作者[[沼正三]]が東京高裁判事倉田卓次氏だとする節を主張。
*昭和30年代に横浜本牧にSMグッズ店をもっていた<ref name="eshi">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)]</ref>。
*昭和30年代に横浜本牧にSMグッズ店をもっていた<ref name="eshi">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)]</ref>。
*[[風俗奇譚]]1961年頃に[http://nawa-art.com/etc/fk/FK196112/047.html 広告]を出していた『泰西出版資料会社』は[[森下高茂]]の会社と推測される。本社は横浜市中区北方町1-67。東京出張所は渋谷区上通り3-28(スカラ座筋向かい)の喫茶「ら・ぷらた」となっている。ヌートリクス社の日本総代理店とある。
*[[風俗奇譚]]1961年頃に[http://nawa-art.com/etc/fk/FK196112/047.html 広告]を出していた『泰西出版資料会社』は[[森下高茂]]の会社と推測される。本社は横浜市中区北方町1-67。東京出張所は渋谷区上通り3-28(スカラ座筋向かい)の喫茶「ら・ぷらた」となっている。[[Nutrix|ヌートリクス]]社の日本総代理店とある。
*[[画報風俗奇譚]]1961年(昭和36年)10月号, [http://nawa-art.com/etc/fk/GFK196110/073.html p90]には「日本[[Nutrix|ヌートリクス]]株式会社(旧泰西出版株式会社[[Nutrix|ヌートリクス]]社販売部)提供」とある。
*小田急線相模大野駅付近に金髪の夫人と住んでいた<ref name="eshi"></ref>。
*小田急線相模大野駅付近に金髪の夫人と住んでいた<ref name="eshi"></ref>。
*「[[沼正三|沼]]は森本([[森下高茂|森下]]) の住所を「[[奇譚クラブ]]』経由で知り、文通が始まったが、森本は極秘ながら沼の住所が長野県飯田市で、名前が[[倉田卓次|倉田貞二]]であることだけを知らされた」「その沼=倉田が56年にいきなり森本の自宅を訪ねてきた。それは稀少本だった[[キント]]の原書『'''[[女天下]]'''』第四巻を見るためで、彼はそのドイツ語の原書を一晩で読破した」「森本は天野の「[[奇譚クラブ]]」におけるペンネームが[[黒田史朗]]であることも知っていた」「(森本は)沼が[[倉田卓次]]で、長野地家裁飯田支部判事補、札幌高裁判事、佐賀地家裁所長などを経て、東京高裁判事となっていることを突き止める。」(以上は「諸君!」1982年(昭和57年)『'''三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書 「[[家畜人ヤプー]]」の覆面作家は東京高裁[[倉田卓次]]判事'''』の要約)に掲載された<ref name="‎#Naitou"></ref>。


==代表作==
==代表作==
''主なもの''
===雑誌===
 
*[[森下高茂|森本愛造]]『'''乗馬靴と長靴と鞭'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195304/01/025.html p30]
*『残虐なる女性たち』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)~1958年(昭和33年)年連載(森本愛造)
*[[森下高茂|森本愛造]]『'''残虐なる女性たち'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号~1958年(昭和33年)年連載。
*『現代マゾヒズム芸術時評』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載(原忠正)
*[[森下高茂|天泥盛栄]]『'''或る被虐性愛者の手記より'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195308/02/133.html p138]
*[[森下高茂|天泥盛栄]]『'''或る被虐性愛者の手記より(二)'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)10月号[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195310/01/075.html p79]
*[[森下高茂|天泥盛栄]]『'''或る被虐性愛者の手記より(三)'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)11月号
*[[森下高茂|森本愛造]]訳『'''残虐なる女性達'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号, http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/02/099.html p104]
*[[森下高茂|原忠正]]『現代マゾヒズム芸術時評』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載。
*[[森下高茂|原忠正]]『現代マゾヒズム芸術時評』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195407/03/176.html p181]
*[[森下高茂|天泥盛栄]]『'''マゾヒスム断想'''』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195607/02/121.html p124]
*『マゾヒズムへの招待』[[裏窓]]1960年(昭和35年)連載。
*『マゾヒズムへの招待』[[裏窓]]1960年(昭和35年)連載。
*『マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1960年(昭和35年)~1961年(昭和36)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|原忠正]]『現代マゾヒズム芸術時評』[[奇譚クラブ]]1958年(昭和33年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195804/02/095.html p98]
*原忠正『『あけぼの会事件』について』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)2月号、[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196102/196102_068.html p212]-[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196102/196102_069.html p213]
*[[森下高茂|谷貫太]]『マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1960年(昭和35年)~1961年(昭和36)年連載。
*[[森下高茂|原忠正]]『『[[あけぼの会事件]]』について』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196102/03/206.html p212]
*[[森下高茂|谷貫太]]訳『'''[[Nutrix|ヌートリクス]]・コーナー ウルスラ夫人の女騎手強制調教所'''』[[風俗奇譚]]1961年(昭和36年)5月号、[http://nawa-art.com/etc/fk/FK196105/076.html p139]
*[[森下高茂|谷貫太]]『[[John Willie|ジョン・ウィリー]]原作ならびに絵 グエンドリンの降伏と冒険』[[画報風俗奇譚]]1961年(昭和36年)5月号増刊号(第12集)、[http://nawa-art.com/etc/fk/GFK196105/074.html p107]
*『マゾヒズム文化時評』[[裏窓]]1962年(昭和37年)~1964年(昭和39年)連載。
*『マゾヒズム文化時評』[[裏窓]]1962年(昭和37年)~1964年(昭和39年)連載。
*『続・マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1962年(昭和37年)~1964年(昭和39)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|谷貫太]]『続・マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1962年(昭和37年)~1964年(昭和39)年連載。
*『わたしの友人たち』[[風俗奇譚]]1964年(昭和39年)~1966年(昭和41)年連載(谷貫太)
*[[森下高茂|谷貫太]]『わたしの友人たち』[[風俗奇譚]]1964年(昭和39年)~1966年(昭和41)年連載。
*[[森下高茂|天泥盛栄]]『'''私の告白の断章'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)2月号[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196402/02/153.html p158]
*『もう一つの世界を散歩する』[[風俗奇譚]]1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に連載。
*『もう一つの世界を散歩する』[[風俗奇譚]]1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に連載。
*『新・マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1966年(昭和41年)~1968年(昭和43)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|谷貫太]]『新・マゾヒストの手紙から』[[風俗奇譚]]1966年(昭和41年)~1968年(昭和43)年連載。
*『レターM』[[風俗奇譚]]1968年(昭和43)~1974年(昭和49)年連載(谷貫太)。
*[[森下高茂|谷貫太]]『レターM』[[風俗奇譚]]1968年(昭和43)~1974年(昭和49)年連載(谷貫太)。
*『フェティシズム』[[SMキング]]創刊号(1972)から連載。
*『フェティシズム』[[SMキング]]創刊号(1972)から連載。
*[[森下高茂|谷貫太]][[スペシャリーS&M]]1982年(昭和57年)5月15日、通算23号から同雑誌にいくつか書いている。
*[[森下小太郎]]『'''衝撃の新事実![[三島由紀夫]]が絶賛した戦後の一大奇書『[[家畜人ヤプー]]』の覆面作家は東京高裁・[[倉田卓次]]判事'''』[[諸君!]] 1982年(昭和57年)11月号
===書籍===
*[[濡木痴夢男|藤見郁]]・[[森下高茂|T・C・MORISCITA]]『'''ショッキング画集1'''』([[久保書店]], 1964)([[John Willie]]、[[Eric Stanton]]などを紹介)
*[[森下高茂|谷貫太]]『'''レターM'''』([[譚奇会]], 1972)(発売:[[三崎書房]])
==ギャラリー==
<gallery>
画像:MorishitaTakashige03.png|[[森本愛造]] 『'''残虐なる女性達'''』での[[Das Grausame Weib]]誌、[[Das Leben]]誌の挿絵、[[Vala Moro]], [[Tack]]の作品の紹介。[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)4月号より。
画像:MorishitaTakashige04.png|[[森本愛造]] 『'''残虐なる女性達'''』での[[Das Grausame Weib]]誌、[[Das Leben]]誌の挿絵、[[Vala Moro]], [[Tack]]の作品の紹介。[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)4月号より。
</gallery>


==脚注==
==脚注==
<references/>
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>


==つながり==
==つながり==
47行目: 107行目:
==お役たちweb==
==お役たちweb==
*[http://yakenn2002.seesaa.net/article/58358338.html サブカル雑食手帳]
*[http://yakenn2002.seesaa.net/article/58358338.html サブカル雑食手帳]
*[http://blog.livedoor.jp/taiyoyaro/ 古書店 太陽野郎 地下のお店]


{{DEFAULTSORT:もりした たかしげ}}
{{DEFAULTSORT:もりした たかしげ}}
[[Category:SM殿堂]]
[[Category:風俗史研究家]]
[[Category:風俗史研究家]]
[[Category:文筆家]]
[[Category:文筆家]]
[[Category:総索引]]
[[Category:総索引]]

2023年12月12日 (火) 07:34時点における最新版

あけぼの会事件の主犯として週刊現代1960年8月28日号[1]。に紹介される森下小太郎
森本愛造乗馬靴と長靴と鞭』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号
谷貫太レターM』(譚奇会, 1972)(発売:三崎書房)

もりした たかしげ、1927年(昭和2年)[2]。1953年(昭和28年)頃から奇譚クラブ等に森本愛造他の変名で寄稿。欧米フェティ文化の紹介も熱心で米国ヌートリクス社の代理店も。SMサークル「あけぼの会」主宰。

概要

風俗史研究家。文筆家。

別名

谷貫太森本愛造原忠正森下小太郎(本名)、天泥盛栄天泥盛英(アメディオ・モディリエール、あまでもりえ)、フェニクス商会、T. C. Moriscita, マックス・フォン・ティーツェム

「通信や告白文には天泥盛英(アメディオ・モディリエール)を用い、翻訳には森本愛造を用いる」[3]

略歴

1927年(昭和2年)頃[注 1]、印刷会社社長の長男として生まれる[1][4]

旧制成践高校卒業[1]

学生時代に知り合う新宿2丁目の赤線のM女性がきっかけでSMを始める[1]

慶応大学仏文科卒業後、家業の印刷会社を手伝う[1]

1953年(昭和28年)、奇譚クラブ4月号に森本愛造乗馬靴と長靴と鞭』p30。6才の時から乗馬の経験があると書いている。

1954年(昭和29年)、奇譚クラブ4月号のグラビアに『鞭打つ女と馬になる男』と題して、BizarreJohn Willieの作品と思われるイラストと写真が「天泥盛英氏提供」で掲載。同誌のグラビアに『残虐なる女性達』と題してDas Grausame Weib誌、Das Leben誌の挿絵、Vala Moro, Tackの作品を森本愛造の名前で紹介。

1958年(昭和33年)9月、『奇譚クラブ』の同好の士を全国から募集[注 2]。これを機に「あけぼの会」の設立を計画。「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」と広告。中条泰太郎、大島、西岡らを部下として3名の女性を会員にあっせんし変態行為をさせる[1]

1959年(昭和34年)4月頃、「あけぼの会」が本格的に活動開始。入会金千円、会費二千円/月。仲介料が3000-5000円。女性は田崎美代子ら12名に増える[1]

1959年(昭和34年)7-9月、「みやこホテル」「大洋ホテル」であけぼの会の活動[1]

1959年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで「あけぼの会」主催の撮影会。18名参加。この撮影会に参加した会社員の藤倉が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る[1]

1959年(昭和34年)11月、目黒碑文谷署は森下高茂中条泰太郎を、売春防止法違反、恐喝、同未遂、公然ワイセツ等の容疑で逮捕・送検[1]

1960年(昭和35年)、別冊風俗奇譚上に「ニュートリクス(ヌートリクス・コーナー」「Nutrix画廊」の記事が頻繁に現れる。

1960年(昭和35年)6月、『風俗奇譚』6月号に谷貫太マゾヒストの手紙から』が掲載[注 3]

1960年(昭和35年)、8月28日「週刊現代」に「あけぼの会事件」をたたかれる[5]

1961年(昭和36年)、日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)設立。

1964年(昭和39年)、あまとりあ社から『ショッキング画集1』を出版。John Willieなどのイラスト集。解説文を濡木痴夢男と共に書いている。

1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)11月号に森下小太郎三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書 「家畜人ヤプー」の覆面作家は東京高裁倉田卓次判事』。

1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)12月号に森下小太郎倉田卓次判事への公開質問状』。

エピソード

  • 作曲家の矢代秋雄と親交。矢代秋雄麻生保の変名で奇譚クラブにに投稿していた[4]
  • 奇譚クラブ』『裏窓』『風俗奇譚』などで海外のフェチシズムを紹介。
  • 森下からFakir Musafarを通じて、日本の緊縛写真が米国に流れていた。
  • 濡木痴夢男Fakir Musafarを紹介した。
  • 1981年(昭和56年)の「諸君」(文藝春秋社)で「家畜人ヤプー」の作者沼正三が東京高裁判事倉田卓次氏だとする節を主張。
  • 昭和30年代に横浜本牧にSMグッズ店をもっていた[6]
  • 風俗奇譚1961年頃に広告を出していた『泰西出版資料会社』は森下高茂の会社と推測される。本社は横浜市中区北方町1-67。東京出張所は渋谷区上通り3-28(スカラ座筋向かい)の喫茶「ら・ぷらた」となっている。ヌートリクス社の日本総代理店とある。
  • 画報風俗奇譚1961年(昭和36年)10月号, p90には「日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)提供」とある。
  • 小田急線相模大野駅付近に金髪の夫人と住んでいた[6]
  • は森本(森下) の住所を「奇譚クラブ』経由で知り、文通が始まったが、森本は極秘ながら沼の住所が長野県飯田市で、名前が倉田貞二であることだけを知らされた」「その沼=倉田が56年にいきなり森本の自宅を訪ねてきた。それは稀少本だったキントの原書『女天下』第四巻を見るためで、彼はそのドイツ語の原書を一晩で読破した」「森本は天野の「奇譚クラブ」におけるペンネームが黒田史朗であることも知っていた」「(森本は)沼が倉田卓次で、長野地家裁飯田支部判事補、札幌高裁判事、佐賀地家裁所長などを経て、東京高裁判事となっていることを突き止める。」(以上は「諸君!」1982年(昭和57年)『三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書 「家畜人ヤプー」の覆面作家は東京高裁倉田卓次判事』の要約)に掲載された[4]

代表作

雑誌

書籍

ギャラリー

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版ー」『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-74.
  2. ネット情報による
  3. 原忠正名での読者通信 in 奇譚クラブ1960年(昭和35年)2月号
  4. 4.0 4.1 4.2 内藤三津子薔薇十字社とその軌跡』(論創社, 2013.3)
  5. 古田純夫『「あけぼの会事件」に思う』奇譚クラブ1960年(昭和35年)12月号, p162
  6. 6.0 6.1 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)

注釈

  1. 1959年(昭和34年)のあけぼの会事件当時に、32才とあることから逆算
  2. 週刊現代での主張だが、該当する広告や記事は奇譚クラブからは見つからない(U)
  3. 奇譚クラブ1960 年(昭和35年)7月号の沼正三雑報欄』にこの記事に対するコメント。「これは曙会系の資料ではないかと想像される」とある。

つながり

濡木痴夢男 Fakir Musafar

お役たちweb