板倉三枝子

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いたくら みえこ、1936年(昭和11年)4月4日 -

概要

団鬼六の最初の夫人。太宰治を好む真面目な文学少女で、団鬼六の文学的才能に惚れて結婚[1]

別名

黒岩三枝子

略歴

1936年(昭和11年)4月4日、三浦市三崎に誕生[1]

1950年代、日大芸術学部卒業[1]

1959年(昭和34年)5月、兄の経営していた新橋の国際マーケットのバーが団鬼六の手に渡る。その後、時々バーを手伝う[1]

1962年(昭和37年)9月、バー経営に失敗した団鬼六を地元の三浦市三崎に移転させ、三崎中学の英語教師にねじ込む[1]

1963年(昭和38年)2月4日、団鬼六と結婚。海南神社で挙式[1]

1963年(昭和38年)7月、長男黒岩秀行誕生。

1963年(昭和38年)頃、三崎から少し離れた新築の家屋[注 1]に引っ越し[1]

1983年(昭和58年)、団鬼六とと離婚。三崎に戻りブティックを経営[1]

2000年(平成12年)、白血病のためにブティック経営が行き詰まる。団鬼六が知人を連れて買い物ツアーと観潮荘で励ます会をもつ[1]

板倉家

三崎を地元とする建設業者。板倉三枝子の祖父板倉虎次郎は衆議院議員小泉又次郎の番頭をしており、その頃から建設業を始める。板倉三枝子の父は建設業の傍ら県会議員を務めた名士。地元の教育委員も兼ね、団鬼六の三崎中学への就職を口利きした[1]

エピソード

  • 妹は板倉艶子で後に地元の桜井眼科医院の夫人となる[1]
  • 大崎善生によると「団鬼六の著述や発言は徹底して三枝子の存在を意図的に排除」「照れのようなものなのかなとも思う」「英語部長という夫人に対するコンプレックスの表れなのかもしれない」とある[1]
  • 英語部長の板倉三枝子と代用教員の団鬼六の給料には三倍もの差があった[1]

引用文献

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 大崎善生赦しの鬼 団鬼六の生涯』第四回「小説新潮」2011年(平成23年)10月号

注釈

  1. 父親が建ててくれた

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